進化論者は同時多発テロを非難できない
<ご質問>
創造者=絶対的主権者がいないとしているならば、物事の善し悪しを決定することなど出来ないはずなのに、テロ=悪、宗教=悪と断罪するのは自身の主張(若しくは信仰と言ってもいいかも知れません)と矛盾しているにほかなりませんね。このドーキンスの無神論者丸出しの意見を読んでいると、創造者=神を認めない人間には罪(
sin)がわからないのだなあと改めて思わされます。
<お答え>
まさにそのとおりですね。
創造者がいなければ、価値というものが存在しないということになりますので、あらゆる価値判断を保留しなければなりません。
もし、彼が自分のことを「経験科学にのみ信頼し、あらゆるドグマを拒否する」と公言しているならば、厳密な経験科学の方法に基づいて、「人間が経験したこと以外のことについては判断を保留しよう」といわねばならないのに、「神はいない」「宗教は危険だ」というのは間違っています。彼が言えるのは、「経験科学で論証できる事柄についてのみ私は判断しよう」ということだけです。
このように、無神論者や進化論者の決定的な矛盾は、自分が「人間経験のみに依存し、あらゆる宗教的ドグマを拒否する」といいながら、自分は、不忠実にも、人間経験の及ぶ範囲外のことについてコメントするという部分にあります。
つまり、彼らは、「無宗教者からの宗教批判」ではなく、「宗教者からの宗教批判」を行っているに過ぎないのです。
>このドーキンスの無神論者丸出しの意見を読んでいると、創造者=神を認めない人間には罪(
sin)がわからないのだなあ>と改めて思わされます。
彼は、人間が無生物から偶然に生じた存在であるという前提でものを話しているにもかかわらず、あたかもこの世界に「偶然を越えた普遍的な法」が存在するかのような発言をしています。
世界が偶然に生じたのであれば、そこに善も悪もありません。
強いて法があるとすれば、それは、「弱肉強食の法」です。つまり、「環境適者が生き残り、環境不適者が滅びる」という適者生存の原則です。あたかもこの世界に普遍的な「倫理法則」があると仮定し、それに基づいて「テロなどの不意打ちを食らわせて無実の市民を殺戮することは悪だ」と言うことはできないのです。進化論者が、同時多発テロを、「倫理」をふりかざして批判するなど自己矛盾なのです。
もし進化論者がこれについてコメントするとすれば、「力の強い米国は、力の弱いテロリストを撲滅するのが自然の理だ」というべきです。
この進化論者の発言は、「キリスト教の価値観(=創造者がいて、創造者が設定した法に照らして善悪を判断する)」の土台に立たなければ実際的生活ができないことを示しています。
02/01/13