神への恐れを前提としない科学の行く末
創造科学を擬似科学であると定義する人々の前提は、我々の前提と異なる。
我々は、科学とは「神の創造の神秘を探るためのもの」であるとしているのだが、彼らは、「神の創造を前提とはできない」と言う。
彼らは、「知識とは神から独立して存在する」と考えるが、我々は、「知識とは神を恐れることから始まる」と考える。
彼らは、知識を神から独立したものと考え、信仰と切り離して考えているので、彼らの知識はサタンの格好の餌食になる。
ペテロは、イエスに向って「たとえ死ななくてはならないとしても、あなたをけっして裏切りません。」と言ったが、イエスの予言のとおりに、にわとりが
2度鳴く前に3度イエスを知らないと言った。イエスが弟子達はみな散り散りになるといわれているのに、「大丈夫です。けっして裏切りません。」と言うことは、イエスの支えが不用であると宣言することである。
人間は、弱いものだ。どんなに自信があっても、サタンに勝つことはできない。サタンは人類を誘惑してきたベテランであり、我々の知恵を遥かに越えている。
だから、神の前で、「わたしは大丈夫です。」なんてことは言えない。神の支えを拒んで、自分の知恵に頼るならば、我々は必ず失敗する。
「知識は神や信仰とは無関係だ。科学をやるのに神の助けなど要らない。」と述べている今日の科学は、いずれ崩壊するだろう。
なぜならば、傲慢だからだ。
「我々だけで大丈夫。神など要らない。」と述べた瞬間に、サタンは活動を開始する。サタンは傲慢の心に忍び込む。そして、彼の魂を奪って、その知識や知恵を利用して彼を滅ぼすために働く。
人間はサタンに勝てないのだから、『常に』神への恐れが必要なのだ。
「わたしはちょっとしたことであなたを裏切ってしまう愚かな者です。どうか私をサタンの誘惑から守ってください。」と祈らねば、我々は、確実にサタンにやられてしまう。というのも、神は我々の傲慢な鼻をへし折るためにサタンが誘惑するのを許すからである。
「神を恐れることは知識の始めである。」という御言葉を前提としない科学は、サタンによって滅茶苦茶にされる科学である。
サタンは、科学を利用して自分の意志を遂げようとするだろう。
創造科学を擬似科学呼ばわりする『科学』は、サタンに操られている科学である。神への恐れを前提としない科学を信じる者は、みなサタンによって欺かれている。