戦闘モードの喪失について
福音と神の国の発展は、サタンの王国に戦いを挑み、それを滅ぼして行くことであって、あくまでも戦争である。
クリスチャンは、戦闘のために召されたのであって、何か休み場を得るために召されたのではない。
もちろん、キリストにおいて休むことも間違いではないが、あくまでもクリスチャンの召命の基本は、戦闘である。
戦いに参加しないクリスチャンは、本当の意味においてクリスチャンと呼ぶことができない。
洗礼を受けて教会に加わったら、そのときから戦闘の訓練が始まる。彼は、新兵として訓練を受ける。
いつまでも新兵きどりで、前線から離れているならば、彼は無能の兵士である。神の国に貢献できないクリスチャンは、天の御国に入ることを遠慮すべきである。
ある者はキリスト教を弁証し、ある者は社会正義のために戦い、ある者は社会福祉のために戦い、また、ある者は、祈りや家庭教育において戦線に参加する。
それぞれにはそれぞれの務めがあり、全員でこの戦いに参加しなければならない。
そうしないと、神の国は停滞するか、退歩するだけである。