死後の救いについて by starman氏

 

死後の救いについて

1.救いとさばき

初めに、神が天と地とを創造し(創世記1:1)、その後地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれて人は生きものになった(創世記2:7)。しかし人は神との約束を破り、堕落してしまいました。食べてはならないと命じられていた木から取って食べてしまったのです(創世記3:6)。ここに神に対する反逆、すなわち不信仰という罪が入ったのです。そのため人は神との交わりを損ない(イザヤ59:2)、永遠のいのちの祝福を失い、神からの栄誉を受けることが出来なくなってしまいました(ローマ3:23)。堕落の結果、全人類が罪を犯し(ローマ8:12)、世界に死が入り、人は自分の罪過と罪との中に死んでしまったのです。(エペソ2:1)

しかし神は罪を犯した人類をそのまま捨て置くことはせず、その罪から救うために贖いの代価を差し出すことを求めました。そのため、キリスト以前にはおびただしい数の動物が人間の罪を負って殺されました。さらに神は罪を犯すたびに何度も捧げなければならなかった不完全な犠牲ではなく、完全な犠牲を用意しました。それがイエス・キリストの十字架による贖いです。キリストはすべての人の咎を赦すための贖いの供え物としてただ一度捧げられたのです。これによって私たちは、口でイエスを主と告白し、心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、救われるということになったのです(ローマ10:9)。この救いは、恵みのゆえに、信仰によって与えられたものであり、それは自分自身から出たことではなく、神からの賜物なのです。(エペソ2:8)

罪からの救いはキリストによって完成され、神からの恵みとして提供されました。人は信仰によってこれを受けることができるようになったのです。ですから私たちは自らの罪深さを覚え、神の前に悔い改めて赦しを請わなければなりません。罪を悔い改めない者に救いはありません。神が提供して下さったこの救いを拒否するのなら、もはや罪のためのいけにえは残されていません。そのような人は、さばきと、逆らう人たちを焼き尽くす激しい火とを、恐れながら待つよりほかはないのです。(ヘブル10:26〜29)

この救いはイエス・キリストを信じる信仰によって与えられると聖書に書いてありますが、では、私たちはいつ、この信仰告白をしなければならないのか?死後にも救いのチャンスがあるとする立場のように、死んだ後でも良いのか?生きている間じゃなければならないのか?について私たちは聖書から注意深く学ばなければなりません。

  箴言15:9 主は悪者の行ないを忌みきらい、義を追い求める者を愛する。


(1)永遠のいのち

聖書には永遠のいのちが与えられる条件として、“生きている間に”イエス様を受け入れる必要があると述べています。死後、黄泉において初めてキリストを信じる者にも、永遠のいのちが与えられると述べている箇所はありません。死後にも救いの機会があるとする立場では、第1ペテロ3:19、4:6、ピリピ2:10〜11、黙示5:13、エペソ4:8を根拠に、死後の世界でキリストが福音を伝えたはずだ。福音が伝えられたのなら信じる者もいるはずだ。信じたからには永遠のいのちが与えられるはずだ、と結論付けていますが、それならば聖書全体から死後にも永遠のいのちを得ることが出来るとする根拠を示さなければなりません。
以下にあげる聖書箇所を、死後救いのチャンスがあるという前提に立って、説明するのは非常に難しいと考えます。*

◆マルコ10:30
〜今のこの時代には、家、兄弟、姉妹、母、子、畑を迫害の中で受け、後の世では永遠のいのちを受けます。
◆ルカ18:29〜30
イエスは彼らに言われた。「まことに、あなたがたに告げます。神の国のために、家、妻、兄弟、両親、子どもを捨てた者で、だれひとりとして、この世にあってその幾倍かを受けない者はなく、後の世で永遠のいのちを受けない者はありません。」
◆ヨハネ3:15,16
それは、信じる者がみな、人の子にあって永遠のいのちを持つためです。」
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
◆ヨハネ3:36
御子を信じる者は永遠のいのちを持つが、御子に聞き従わない者は、いのちを見ることがなく、神の怒りがその上にとどまる。
◆ヨハネ5:24
まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしのことばを聞いて、わたしを遣わした方を信じる者は、永遠のいのちを持ち、さばきに会うことがなく、死からいのちに移っているのです。
◆ヨハネ6:27
なくなる食物のためではなく、いつまでも保ち、永遠のいのちに至る食物のために働きなさい。それこそ、人の子があなたがたに与えるものです。
◆ヨハネ6:39,40
わたしを遣わした方のみこころは、わたしに与えてくださったすべての者を、わたしがひとりも失うことなく、ひとりひとりを終わりの日によみがえらせることです。事実、わたしの父のみこころは、子を見て信じる者がみな永遠のいのちを持つことです。わたしはその人たちをひとりひとり終わりの日によみがえらせます。」
◆ヨハネ6:47〜51
まことに、まことに、あなたがたに告げます。信じる者は永遠のいのちを持ちます。わたしはいのちのパンです。あなたがたの先祖は荒野でマナを食べたが、死にました。しかし、これは天から下って来たパンで、それを食べると死ぬことがないのです。わたしは、天から下って来た生けるパンです。だれでもこのパンを食べるなら、永遠に生きます。またわたしが与えようとするパンは、世のいのちのための、わたしの肉です。」
◆ヨハネ6:53,54
イエスは彼らに言われた。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。人の子の肉を食べ、またその血を飲まなければ、あなたがたのうちに、いのちはありません。わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠のいのちを持っています。わたしは終わりの日にその人をよみがえらせます。
◆ヨハネ6:58
これは、天から下ってきたパンです。あなたがたの先祖が食べて死んだようなものではありません。このパンを食べる者は永遠に生きます。」
◆ヨハネ10:26〜28
しかし、あなたがたは信じません。それは、あなたがたがわたしの羊に属していないからです。わたしの羊はわたしの声を聞き分けます。またわたしは彼らを知っています。そして彼らはわたしについて来ます。わたしは彼らに永遠のいのちを与えます。彼らは決して滅びることがなく、また、だれもわたしの手から彼らを奪い去るようなことはありません。
◆ヨハネ11:25,26
イエスは言われた。「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。
また、生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません。このことを信じますか。」
◆ヨハネ12:25
自分のいのちを愛する者はそれを失い、この世でそのいのちを憎む者はそれを保って永遠のいのちに至るのです。
◆使徒13:46
そこでパウロとバルナバは、はっきりとこう宣言した。「神のことばは、まずあなたがたに語られなければならなかったのです。しかし、あなたがたはそれを拒んで、自分自身を永遠のいのちにふさわしくない者と決めたのです。見なさい。私たちは、これからは異邦人のほうへ向かいます。なぜなら、主は私たちに、こう命じておられるからです。『わたしはあなたを立てて、異邦人の光とした。あなたが地の果てまでも救いをもたらすためである。』」異邦人たちは、それを聞いて喜び、主のみことばを賛美した。そして、永遠のいのちに定められていた人たちは、みな、信仰にはいった。
◆ローマ2:5〜8
神は、ひとりひとりに、その人の行ないに従って報いをお与えになります。忍耐をもって善を行ない、栄光と誉れと不滅のものとを求める者には、永遠のいのちを与え、党派心を持ち、真理に従わないで不義に従う者には、怒りと憤りを下されるのです。
◆第1テモテ6:12
信仰の戦いを勇敢に戦い、永遠のいのちを獲得しなさい。あなたはこのために召され、また、多くの証人たちの前でりっぱな告白をしました。

※いやいや、聖書は生きている間のことを書いてるのだから、これらの箇所は死後の世界には当てはまらない。第1ペテロ3:19を見るとキリストは黄泉に下って福音を語ったのだから、死後にも永遠のいのちを得ることが出来るのだ、というのならば説明になっていません。この箇所(第1ペテロ3:19)だけではなく聖書全体から矛盾なく説明できなければなりません。

 

 

02/05/27

 

 

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