現在教会に起こっている惨状
まさに、現在教会に起こっている惨状は、目に余るものがあります。
先日、ある有名な教会の信者と仕事をすることがありました。
彼は、コンピュータのシステム作成の仕事をするから、システム構築の専門家を連れて事務所に連れてきてくれ、と言うので、システム関係者を連れて、事務所に行きました。
すると、まずは、事務所の備品の整備、本棚の設置、椅子や机の設置を手伝わされ、いつまでたっても本題に入りません。
やっと、本題に入ると、まず、システム構築の方法を係りの者に教えて、それをマニュアルとしてノートに書け、というのです。
しかし、いっこうに帳票を提出せず、それゆえ、システムの作成にとりかかれません。
約束が違うではないか、と思ったのですが、システムの人は、係りの人にデータベースの作成の方法を説明していました。
しかし、もうこれが限度だということで引き上げたのですが、車の中で、そのシステムの人が、「あれは、詐欺師だ。肝心の帳票を渡さないで、やり方だけ説明させて、自分でやるに違いない」というのです。
それで、仕事はキャンセルしたのですが、クリスチャンがこういう汚いことをやっていいのだろうか、と疑問に思いました。また彼は、昼食の席上で、「俺も金ができたら女遊びしたいなあ」と言うのです。
度肝を抜かれました。
このような惨状は、ディスペンセーショナリズムの無律法主義が実を結びつつあることを示していると思います。最初にディスペンセーショナリズムを伝えた牧師たちは、古いキリスト教の影響の下にあった、まじめな人々だったのかもしれません(スコフィールドは極めて疑わしい生活をしていたという研究本がありますが
Incredible Scofield, Ross House Books)。しかし、その根底には、「今は、恵みの時代だから、律法に縛られる必要はない!」という野心があります。ディスペンセーショナリズムは、原理的に、好き勝手な生活をしても、現世的裁きはないという結論を生み出す教理ですから、当然、その実は、世代を経ると、出てきます。先日、ある集会に出ましたが、外国のメッセンジャーが「みなさん、律法を守れという教えは間違っています。このような教えによって、みんな暗くなっているのです。アメリカの精神病院の
80%がクリスチャンだということを知っていますか?私たちは律法から解放されたのです!」と言うと、席上から力強い声で「アーメン!」と言う声が上がりました。これを聞いていて、「ああ、こういうメッセージを聞いて喜ぶというのはどういう生活をしているのだろう。」と思いました。
サタンが教会に蒔いた毒麦の種が実を結んでいるのです。そして、今、まさにそれが引き抜かれようとしています。
今日、ほとんどの教派には、その根底には、無律法主義という、サタンが蒔いた神学的な誤謬があります。それを指摘する我々には、様々な攻撃が加えられています。
ラッシュドゥーニーは、メッセージの途中で、何度か、聴衆が立ち上がって抗議したために、それ以上話ができなくなるということがありました。すっかり、サタンの教えによって牛耳られた今日の世界において、正しいことを言うことは非常に大きな犠牲が伴なうかもしれません。しかし、真理を知らされた人々には、神様がバックについているので、必ず勝利します。
「悪魔に立ち向かいなさい。そうすれば悪魔はあなたがたから逃げ去ります。」
2001/08/28