宜保愛子に情報を提供している者

 

TVで宜保愛子の霊視を紹介していた。

たしかに、彼女の霊判断は非常に説得力がある。

ごく親しい人しか知らない故人のことを的確にピタピタと当てていく。

もちろん、事前に内密に調査し、何等かの情報を得ていたということもあるかもしれないが、相談者が驚いているように、そういった助けを借りずとも超自然的な知識を得る能力が彼女にはあるのだろう。

どうして私がそのような能力があると信じているかというと、私自身がそのような体験をしてきたからだ。

私しか知らない出来事をズバズバ当てる知人がいた。彼女は、私が独り言でつぶやいたことを、そのつぶやいた場所とともに的確に言い当てた。

霊の存在を否定する人は、このような事実を否定するだろう。

大槻教授のような、超自然を認めない科学者(これは本当の科学者ではないのだ。本当の科学者は超自然については沈黙するはずだ。科学は、けっして超自然の世界がないということを証明できないのだから。)は、こういった予言、霊視などをインチキだと決め付けるだろう。

しかし、霊能力はたしかに存在するのだ。聖書は、自然を超えた世界が存在すると語っているし、霊の実在も主張している。いや、むしろ、世界の本質は実は霊界にこそあると述べている。

我々の戦いは血肉に対するものではなく、霊的存在、悪魔、悪霊に対するものだとパウロははっきりと述べている。

「私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。」(エペソ612

宜保愛子は何らかの霊の声を聞いているのだろう。

それは死者の声かもしれないし、または、死者についてよく知っている霊の声かもしれない。身内の人しか知らないこまかなことをあれだけズバズバ当てることができるには、確かに超自然的な声を聞いているのだろう。

我々はみな、霊の声を聞くことができる。我々が祈ったり聖書を読んだり、友人と霊的なことについて会話しているときに、我々は聖霊のインスピレーションを受けることがある。いや、むしろ、我々が得ている聖書的な知識は、すべて聖霊の超自然的な声を聞いたり、インスピレーションを得ているから、と言ってよいだろう。なぜならば、霊的な事柄は肉(生まれながらの人間の理性)には理解できないから。

「生まれながらの人間は、神の御霊に属することを受け入れません。それらは彼には愚かなことだからです。また、それを悟ることができません。なぜなら、御霊のことは御霊によってわきまえるものだからです。」(1コリント214

人間には本来霊の声やインスピレーションを得る能力があるのだ。そして、クリスチャンになった人には、聖霊が語ることを悟る力が与えられる。

しかし、ノンクリスチャンは、聖霊の語ることを悟る力がない。しかし、霊的な知覚能力は持っているのだから、彼らが得たという霊の声とは聖霊の声ではなく、悪霊の声であり、悪霊からのインスピレーションである。

宜保愛子の言うように、もし死者が霊界に行くことができず(成仏できず)地上界をさまよっているというのが本当であり、御払いをしたり、供養をすることによって素晴らしい霊界に行くことができるというのが本当であるならば、キリストの贖いなどまったく不用である。

追善供養だけで、素晴らしい霊界にいけるというのは明らかにサタンのウソである。サタンは、キリストの贖いは不用であり、誰でも悔い改めなしで極楽に行けるのだと信じ込ませようとしている。

地上界において行った善行も悪行もすべて、ただ供養するだけで水に流すことが本当にできるならば、何百万人もの生命を奪ったヒトラーやスターリンでも追善供養によって極楽に行けるということなのだろうか。

このような話を、彼らによって親族や友人を殺されたユダヤ人やロシア人たちが聞いたら激怒するだろう。宜保愛子の教えは、個人が生前に行った行動の責任の所在をあいまいにする安易な救いである。

彼女の背後には、悪霊がいて、彼女に、相談者の秘密や故人の情報を耳うちしている。それを見たTV視聴者は、たしかに宜保愛子は故人と会話できるのだ、と信じてしまう。そして、故人を成仏させる方法は追善供養でよいのだ、と信じてしまう。

このように、TVを通じて偽りの救いが吹聴されているのはまことにゆゆしきことである。オカルト、予言、霊媒、魔術などはサタンに属することであり、神の民はこのような汚れたものとかかわりを持ってはならない。我々は、あくまでも聖書が何を言っているかに拘らねばならないのだ。

 

 

 

01/12/19

 

 

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