本当のキリスト教は「自分の幸せを捨てる」ことを教える
現代の知識人がキリスト教と思っているのは、大体、リベラル派のキリスト教で、ヒューマニズムに毛の生えた程度の「道徳宗教」です。
キリスト教は、人間が幸せに生きたり、有意義な人生を送ることを第一にはもとめていません。
キリスト教は、第一義的に、「神の幸せのために働く人になれ」と教える宗教です。
イエスは、第一の戒めは、「思いを尽くし、精神を尽くし、力を尽くして、あなたの神を愛すること」であると教えています。
人間の幸せは、「神が幸せになるために全力を尽くして働くときに」 「添えて」与えられるものです。
「神の国とその義とを第一に求めなさい。そうすれば、これらのもの(生活に必要なもの)は添えて与えられます。」
それに対してヒューマニズムは、「人生の意味は、自分が幸せになることである。」としています。神は、その幸せのために奉仕する道具であり、社会は、その幸せを求める人間の要求がぶつからないように調整するための手段です。
ヒューマニズムは、悪魔の教えです。なぜならば、サタンは、エバに対して、「神はその実を食べるそのとき、目が開けて、神のようになることを知っているのです。」と誘惑しました。
つまり、「自分の幸せを神の命令よりも優先させなさい。」と教えたのです。
神の幸せを第一に求めないキリスト教は、キリスト教ではなく、サタン教です。
神は、人間がいかにすれば、ご自分を幸せにできるか、方法を教えられました。
それは、自分の幸せを捨て、自分の負うべき十字架を背負って、キリストに従うことです。
「わたしにしたがいたい者は、自分を捨て、自分の十字架を負い、そして、わたしにしたがってきなさい。」
この御言葉だけからも、ヒューマニズムがいかに、イエスの教えと矛盾するかがわかります。