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歴史と倫理的因果律

 

  南米のアステカ、インカなどの文明に対して、コルテスやピサロの行った侵略が強調されて教えられている。

 

 キリスト教は、土着の文明を滅ぼした侵略宗教であると学校において教えられることが多い。

 

 しかし、これらの文明は、世界でもっとも血塗られた文明なのだ。

 

 数万人の捕虜の心臓を生きたまま取り出していけにえとしていた。

 

 祭司としての王は、自分の舌に穴を開け、そこに荒縄を通し、そこから流れ落ちる血を見て占いを行った。

 

 戦争の捕虜を生きながら火の中に投げ込んだり、彼らの皮をはいで、それを身にまとったりした。

 

 神殿の500本の柱を立てるときに、その一本一本の下には、若い処女が生き埋めにされた。

 

 これらはサタンの文明である。

 

 サタンの文明は滅亡する運命にある。

 

 その滅亡に用いられるものが誰であるかは、神が決定される。

 

 「神が許した」ということで自分の殺戮行為を正当化はできない。

 

 「皇軍」だからというので、中国人の首を切ることを正当化できないのと同じである。

 

 ただし、

 

 「あくまでも逆らいつづける者には残忍な使者が送られる。」との聖句にあるように、神は、ある民族を起こして、サタンの文明を滅ぼすことがある。

 

 それは、キリスト教国の軍隊であるかもしれないし、イスラムの軍隊であるかもしれない。または、自由主義国の軍隊であったり、共産主義のそれであるかもしれない。

 

 神は、あくまでも逆らいつづけたイスラエルを滅ぼすために残忍なカルデヤ人を起こされた。

 

 今日の相対主義的教育は、「善悪」をテーマに歴史を語ることができない。

 

 歴史は、「倫理的因果律」に支配されている。

 

 「悪を行う者は滅び、善を行う者は永らえる」という法則によって支配されている。

 

 この法則を理解していないと、「善良なアステカ・インカを滅ぼした悪いスペイン人たち」という無意味な構図を描き、子供たちを混乱させる。

 

 「捕虜の皮をはぎ、その肉を食らう文明は神の裁きを受けて滅んだ」という説明をしなければ、「善悪の区別は無意味だ」と子供たちに教えることになる。(*

 

*)「キリスト教国だから侵略は許される」という解釈も「善悪の区別は無意味だ」とする教育である。問題は、キリスト教国であるかないかにかかわらず、善を行う者は繁栄し、悪を行う者は滅びる、ということでしかない。これ以外の因果律を教える者を「無律法主義者」という。

 

 

 




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