異端者の特徴
「信仰は頭ではない。」 という言葉をよく耳にする。
講壇からもよく聞くせりふである。
はたしてキリストはこのようなことを言われただろうか。
「聖書を勉強しても信仰は分からない。」とか、
「あまり聖書研究してはならない。信仰がなくなるから。」とか言われただろうか。
キリストは、信仰と学問を対立概念とされただろうか。
キリスト教は文字の宗教(書物啓示の宗教)である。
クリスチャンにとって大切なことは、それが文字として聖書に書かれているかどうかということである。
だから、新米伝道者のパウロが述べていることが本当にそのとおりかどうか当時の信者たちが聖書を調べたとある。
当時、預言者の発言は、このように聖書によってチェックされた。
文字を大切にしない人には、いざとなったら経験に逃げ込んで、聖書の教えを無視してしまおうという野心がある。
英語のheresy(異端)の語源は、ギリシャ語の‘αιρεσιs(選ぶこと)である。辞典には、「自分勝手に選んだ説や意見」とある。
自分には文字よりも経験を重視する権利があり、自分勝手に選んだ説や意見を採用する権利があると考えるのが、異端者の特徴なのだ。