ヒューマニズムは崩壊への道である
現代人の世界観をよく表しているのは、抽象絵画である。
具象画は、世界を、そこにアプリオリにあるものとして、画の中で再構成するという意味があるが、抽象画は、画家の主観によって世界を創造するという意味がある。
抽象画家は、「私にはこのように見えるのだ。こう表現して何が悪い。」と言う。
具象画家は、リンゴを描くときに、リンゴがそこにあるままに描こうとする。解釈が入るとしても、そのリンゴそのものを所与のものとして、受け入れた上での話である。
しかし、抽象画家は、リンゴを所与のものとして受け取らない。彼は、「私には、世界を私の主観によって構成する権利がある」という前提で画を描く。
具象画家は、神の創造秩序を尊重するが、抽象画家は、自分の創造秩序を尊重する。
もちろん、すべての抽象画家がそのように考えているというのではない。
抽象画は、近代ヒューマニズムの「創造者としての人間」というテーマから出てきたといっている。
カント以降、人類は、自らを創造者に見たてて、世界を自分の主観によって構成しようとしてきた。
彼らは、神の首を切って、自らを王としてきた。
創造の秩序を否定するので、彼らには、世界に通用する普遍的・不変的な法の存在を認めない。
それゆえ、近代ヒューマニズムは、「崩壊を前提とする思想」なのだ。
もし普遍的な法があったとしても、それは、「誕生→繁栄→衰退→死」という不可避的なサイクルである。それ以外に、人間を拘束する法律、倫理、発展への希望などない。
すべては、栄枯盛衰を無限に繰り返す無意味な運動の一部である。
抽象画は、この世界観を象徴している。
神の秩序を否定するならば、個人個人の主観によって各人が思い思いに世界を構成する以外にはない。それゆえ、個人と個人を結ぶ共通の言葉や、感覚などは否定され、世界は混沌化していく。
ヒューマニズムは、混沌化する以外に道はないのだ。
ヒューマニズムを中立的思想だと誤解することはできない。ヒューマニズムを受け入れることは、家庭も国家も教育もすべてが混沌化することを許すことなのだ。
ヒューマニズムにおいて、配偶者以外のものとの性交渉を禁じる決まり、ポルノグラフィーを禁じる決まりは存在しない。だから、ヒューマニズム国家において、家庭は瓦解せざるをえないのだ。文化も教育も、芸術も、ヒューマニズム国家においては、すべてが瓦解への坂道を転げ落ちる以外にはないのだ。
秩序を築き、文明を復興させるには、キリスト教の法秩序を前提として受け入れる以外にはない。万物の創造者を認め、万人に、あらゆる時代に通用する、創造者が定めた倫理基準を持たなければ、世界の文明は崩壊する以外にはないのだ。
01/09/15