なぜ人を賤しめたり殺してはならないか?
最近、ホームレスを襲撃する事件が相次いでいる。
どんなに貧しくて、ボロを着ていて路上に寝ていても、彼らは人間である。
進化論を教えられ、人間の尊厳を知らない若者たちは、人の価値を知らないのであのような暴虐を行える。
人間は動物の延長ではない。
聖書を見ることなしに、人間を正しく評価することはできない。
人間は、神の似姿(image)である。
神はモーセにどのような像(image)も刻んではならない。それを拝んではならない、と言われた。
この地上において、神をあらわすことのできる像は、人間しかない。
人間は、神を象徴する像なのだ。
昔、天皇の写真が天皇を表すと考えられていた。写真を取りに燃える校舎に飛び込んで死んだ校長がいたという。
人間は神を表す御真影のようなものなので尊重されねばならない。
神は、生命の根源であらせられるので、生きた者を通してしか御自身を表すことがおできにならない。しかも、神は人格を持つ方であられるから、同じように人格を持つ者においてしか、そのお姿をあらわすことができない。生命のない石像や、金属の像や、生命があっても人格を持たない生物では神を表すことができない。
ある人が、「神道において鏡は、神を表すものとして祭られているから、あれは偶像ではない。」と言うが、人間以外にいかなるものも神を表すことはできないのであるから、それも偶像なのだ。
人間だけが、神を象徴する形であり、それゆえ、人間は、力を尽くして神に似たものになるように努める必要がある。
人間は、神の霊が豊かに住むときに、神の栄光を反映し、神と同じように輝くようになる。そして、ついに、復活して、栄化され、キリストと同じ形に変えられる時に、彼は、本当の姿=神を完璧に映す像=と変えられる。
第二戒は、「人間以外に神を表すものがあってはならない。」ということを教えている。人間だけが、神の代理者であり、神の意志を実現する権力代行者として唯一定められた者である。
人間が他の動物と違うのは、この「神の象徴」という点である。
誰でも自分の写真につばをかけられたら、立腹するだろう。
写真は自分を象徴しているからである。
同じように、人間が侮辱されたり、虐待され、殺されるときに、神は、御自分がそのようにされているとお感じになる。