教えの重要性(2)
目に見えないものを大切にできるかできないかは、文化の価値を測る尺度である。
人の身なりや住んでいる家や乗っている車、通っている学校、そのようなものでしか人を判断しないならば、その文化は劣等である。
文化の低い国ほど、ソフトウェアや映画や音楽
CDの海賊版が出まわるものだ。一つのプログラムを作るには膨大な資金と労働が必要であるが、それをコピーするのは数分あれば足りる。
目に見えないものの創造には、目に見える建築物や自動車や宝石などと同じように、多大な労働がつぎこまれている。
医者や弁護士に質問をして、求められたにもかかわらず報酬を払わなければサギである。
どんなに短い質問でも、それに答えることができるためには、彼らは途方もない時間と金銭をかけて実力を蓄えた。彼らは大学に通い、場合によっては留学したかもしれない。
ためしに、自分の体が不調であって、それにみあった薬とその適用量を自分で調べてみればよい。どれだけの時間がかかるだろうか。
専門医ならば、数秒で答えられるものでも、素人ならほぼ知ることは不可能であろう。
目に見えない宗教や思想を軽視する文化は劣等である。
大学において哲学を専攻しても、マスコミや教育機関以外に就職することは難しい。
就職が難しいとなると、競争率が下がるが、それによって難易度まで下がり、世間的な評価も下がる。
民度の低い文化は、即物的である。
思想について無頓着な文化は、自分で問題解決ができないので、思想を大切にする文化から永遠に支配されつづける。
優れた思想は、優れた文化を生み出し、優れた技術を獲得する。
キリスト教思想は、このようにして世界を支配してきた。