教えの重要性(3)
ユダヤ人は、古代から学校を発達させてきた。
モーセを通して神は両親に、「こどもに律法を教えなさい。」とお命じになったからである。
宗教改革以後、プロテスタントによって近代の学校が生まれ発達してきたが、それは、大衆に聖書を読める力を得させるためであった。
このように、学校はキリスト教において中心的な役割を与えられてきた。
神は、人が自分で聖書を読めるようになることを望んでおられる。
それは、何よりも、神の国は、自分で聖書を読み、正しい信仰を獲得し、その正しい信仰に基づいて共同体を形成することから始まるからである。
それゆえ、教えに無頓着な集団は、神の御前に尊くない。
「神学ではありません。経験が大切なのです。」と主張する教会は偽教会である。
教会の基礎は神学である。
神学を軽視する指導者は自分の教会を滅ぼす。