本当に戦没者を慰霊したいなら…

 

何だか、日本には、情緒的な右よりの人が多くなりましたね。

「戦死者を敬う」とか「戦死者を大切にする」というのは、誰も反対する人などいないでしょう。当然のことです。国の防衛のために、戦った人は、どの国においても、尊敬されます。

しかし、どうでしょうか。日本は、純粋に国の防衛のために戦いましたか?

もっと、巨視的に、冷静になって、歴史をふりかえってみましょう。

 

 

日本は、心ならずも、アメリカによって開国を迫られた。それは、武力による脅迫によってだ。そして、いやおうなく、当時の帝国主義的領土拡張競争の中に放り込まれた。

欧米列強は、産業革命を経て、機械文明に入っていた。だから、欧米以外の地域よりも、はるかに大きな力を獲得できた。それまでは、人間や動物が運んでいた荷物を機関車で大量に運ぶことができた。人の手によって織っていた衣服が、機械で織ることができるようになり、生産力は各段に大きくなった。

しかし、これら列強諸国は、その力を善用するのではなく、他の民族を力によって支配するために用いた。ほんとうは、自分が発見し、発明した、文明の利器を、他の民族の発展のために用いるべきだったのに、それを自国の領土拡大、市場開拓、そして、現地の人々からの搾取のために悪用したのだ。

当時、日本が開国した時代とは、こういった、泥棒どもの縄張り争いの時代だったのだ。

だから、当然、日本も、彼らから搾取されないためにも、自国の力をつける以外には選択の余地はなかった。日本は、中国やインドがどんなにひどい目にあっているか、聞いていた。列強にむしり取られる前に、自分も力をつけて、防衛する必要性に迫られていた。

数々の不平等条約をも撤廃し、日本は急速な発展をとげて、幸いにも、列強の餌食になることはなかった。しかし、残念ながら、日本はさらに、列強の仲間入りをして、自分も、他国の領土を得ることができれば、と考えるようになった。

そこで、列強の御手本にならって、中国や韓国への侵略を試みた。

さて、世界は、イギリス、フランス、アメリカ、ロシアなどによって、すでに大まかな分割が完了していた。だから、新参者である日本は、当然のことながら、自分たちの分け前を脅かす嫌われ者になった。ただちにイジメが始まった。ロシア・ドイツ・フランスが,日清戦争で日本が領有した遼東半島を清に返せと要求した。

そのうち、満州を巡って利害の対立するロシアとの間に戦争が起こった。しかし、ロシアの中では革命が起こりつつあり、共産主義者が旧体制を打倒するという利害と、日本の利害とが一致したために、両者の間に密約が成立し、首尾よくロシアを降伏させることができた。

さて、日清・日露の戦勝に味をしめた日本では、功績者である軍部の意見がはばを利かすようになり、軍国主義化していった。日本軍は、さらに中国での権益を広げようと、日中戦争に突入した。

このような日本の大陸進出を目の前にして、列強の間では日本を脅威と見るようになった。アメリカは、それ以上の増長を許さないために、様々な対日輸出規制を行い、兵糧攻めにして、窮鼠ネコを噛む状態に追い詰めようとした。つまり、相手を窮地に追い込んで、向こうから戦争を仕掛けさせようとした。国際社会と国内の世論を味方につけ、大義名分を作るためである。(これは、今でもアメリカが使う手である。)

日本は、すでに獲得した大陸における権益を放棄したくないものだから、やむなく、アメリカに対して宣戦せざるを得なくなった。まんまと罠にかかった日本に対して、アメリカは、圧倒的な物資と技術の力を背景として、次々と太平洋におけるその拠点をつぶしていった。ついに、攻撃は、沖縄をへて本土にまで及び、広島と長崎に原爆が投下され日本は降伏した。

戦後、アメリカは日本を人道に対する罪で裁いたが、戦争において人を殺すことは、合法であるから、日本が悪いことをやったことを責めることはできない。

この戦争は、盗人同士の縄張り争いでしかない。泥棒が泥棒を裁くことができないように、アメリカが日本を裁くことなどできないのだ。もし裁くことができるなら、ハワイを併合した罪はどうなるのか?奇襲攻撃など、アメリカはお手のものではないか。

現在の日本人が、確認しなければならないことが2つある。

一つは、日本が悪者呼ばわりされているのは、戦争に負けたからであって、日本が連合国に比べて悪いことをしたからではない、ということだ。むしろ、平和に暮らしていた日本を戦争に引き込んだ張本人は、アメリカをはじめとする列強諸国なのだ。大陸などにおける虐殺行為を批判するならば、広島、長崎に原爆を落とし、非戦闘員を大量虐殺したアメリカの責任はどうなる?

もう一つは、日本は、やむなく世界の領土拡張競争の中に巻き込まれたが、自分からも進んで侵略をはじめたということである。つまり、泥棒の被害にあっていた人間が、自分も泥棒の仲間に入ってしまったということだ。この点は反省すべきだろう。

日本は侵略を正当化するために、アジア諸国を欧米の植民地から解放する解放者を自認した。しかし、実際は彼らと同じような、いや、むしろ彼らよりも露骨な侵略者だった。もし、本当に解放者ならば、これだけ中国や韓国からぐじぐじと批判されることはなかっただろう。火のないところに煙は立たず。「日本はアジアの諸国から解放者として感謝されているんだ。」とほざく石原都知事のナルチシズムには警戒しよう。

靖国神社は、日本人を侵略の戦場に送る方便として作られた、ゴマカシの神殿である。

ナイーブな人々は、「お国のために死んだら、靖国に奉られて神になれるんだよ」という政府のウソ八百とオダテにのせられて、騙されて戦場に送られてその尊い生命を犠牲にしたのだ。

戦争において、犠牲になるのは、常に19とか20の右も左もわからない青年たちである。一番悪いのは、そういった純粋無垢で、人生の楽しみを何も知らない子どもたちを戦場に送った60、70のジジイたちである。彼らは、戦争を決断するが、自分の手は絶対に汚さない。

「お国のために死ね。死んだら、靖国で手厚く奉ってあげるから。」となだめすかして、特攻やフィリピンやビルマの山奥に送り込むが、奴らは、自分の立てた戦略の失敗を絶対に取らない。その証拠に、あの無謀極まりないインパール作戦を立てた総責任者が、作戦の失敗の責任もとらず、戦犯として処刑されることもなく、戦後ものうのうと生き延びていたではないか。

戦争で犠牲になるのは、社会的な力のない無産者の群れである。彼らは、戦争をやって一儲けしようとたくらむ金持ちたちの道具として、利用される。だから、その金持ちを助ける政府の首相が参拝したからといって手放しで喜ぶのは、あまりにもオメデタすぎるのだ。

日本は、天皇を頂点として、有力者の責任をあいまいにする実に巧妙な仕組みがあるのだ。

もし、本当に戦没者を慰霊したいのなら、国家の仕組んだ罠を見ぬいて、その偽善の構造を暴き、戦争をやりたがっている金持ちどもの野心を暴くことだ。そうしてこそ、戦死者の霊も浮かばれるというものだ。

 

01/08/15

 

 

 




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