結果至上主義
企業のサラリーマンや経営者をやっている現代のクリスチャンに共通する欠点は、「肉眼で見える結果しか信用しない」という点である。
企業では、結果至上主義が幅をきかせている。
「どんなに御託を並べても、実際にゼニになっていなければ何もならない。」と言う。
たしかに、短期的な結果を要求されるビジネスの世界においてそのような基準は有効かもしれない。
しかし、世界は、このような「結果」や「ゼニ」や「肉眼で見えるもの」を中心には動いていないのだ。
だから、現代のビジネスマンは、非常に奇妙な宗教に洗脳されている。
神の働きの中心は、「信仰」である。「眼に見えること」ではなく、「眼に見えないこと」にいかに信頼できるかが重要な世界なのだ。
だから、現代のビジネスマンは、聖書の世界になかなか入ることができないのだ。
高度成長の時代に生きた人々は、このように即物的、短期決戦的な価値観を先輩から教えられてきたし、後輩にも伝えてきただろう。右肩上がりの時代において、努力が結果に直結することが多いわけだから、このような偽の価値観が流行るのも無理はない。
しかし、所詮、そのような価値観など、一時代の特殊な環境だけでしか生き延びることができない異常なものなのであり、短期的結果が見える世界など、この世界においてごくごく狭い部分でしかない。
世界のほとんどの部分は、基礎からコツコツと積み上げて、
100年200年、場合によっては1000年の単位で努力する必要のあるものだ。文化とか文明とは、長い忍耐と信仰を必要とする事柄なのだ。
信仰の世界に、短期的結果を求めてはならない。
信仰の世界において重要なのは、結果が現われない時代をいかに乗り切るか、という忍耐力であり、安物と本物とを見分けて、本物に投資する鑑識眼である。
バブルの時代に建った建物を見ていただきたい。いかにも安っぽい、浮ついたモノばかりだ。
人間には、苦しみや試練が必要だということを、バブルの遺物が証明しているではないか。
02/02/01