キリスト教は信じるだけで救われる宗教か?
<ご質問>
知人のある人が、「キリスト教は難行苦行の宗教ではない。信じるだけで救われる宗教だ!」と言っていましたが、今回いろいろ質問させてもらって分かったのですが、本物のクリスチャンになるには難行苦行どころではなく、本当に自分の体に鞭を打ってでも、邪欲と戦わなくてはならないと感じました。(これって、間違えた認識ではありませんよね?もし、違ったら教えてください。)
<お答え>
正しい認識です。
クリスチャンになったらすべてが許されて天国に行けるというのはまったくの間違いです。
「わたしに向かって、『主よ、主よ。』と言う者がみな天の御国にはいるのではなく、天におられるわたしの父のみこころを行なう者がはいるのです。 」(マタイ7・21)
「行う者」だけが入れるのです。
「あなたがたは、正しくない者は神の国を相続できないことを、知らないのですか。だまされてはいけません。不品行な者、偶像を礼拝する者、姦淫をする者、男娼となる者、男色をする者、盗む者、貪欲な者、酒に酔う者、そしる者、略奪する者はみな、神の国を相続することができません。 あなたがたの中のある人たちは以前はそのような者でした。しかし、主イエス・キリストの御名と私たちの神の御霊によって、あなたがたは洗われ、聖なる者とされ、義と認められたのです。 」(1コリント 6・9)
罪を犯して悔い改めない人は、どんなに自分がクリスチャンであると言っても、御国に入ることができません。
「私が書いたことのほんとうの意味は、もし、兄弟と呼ばれる者で、しかも不品行な者、貪欲な者、偶像を礼拝する者、人をそしる者、酒に酔う者、略奪する者がいたなら、そのような者とはつきあってはいけない、いっしょに食事をしてもいけない、ということです。」(1コリント 5・11)
罪を犯して悔い改めないクリスチャンとはつきあうことも禁じられています。
「食物は腹のためにあり、腹は食物のためにあります。ところが神は、そのどちらをも滅ぼされます。からだは不品行のためにあるのではなく、主のためであり、主はからだのためです。 …不品行を避けなさい。人が犯す罪はすべて、からだの外のものです。しかし、不品行を行なう者は、自分のからだに対して罪を犯すのです。」(1コリント 6:13, 18)
不品行は、他の罪と比べて重い罪です。それは、自分のからだに対する罪です。自分のからだは主のからだでもあるわけですから、主の教会に対して重大な影響を及ぼします。つまり、神の御国を破壊する行為なのです。
「しかし、不品行を避けるため、男はそれぞれ自分の妻を持ち、女もそれぞれ自分の夫を持ちなさい。」(1コリント 7・2)
不品行の防衛策は、結婚です。
今日流行の、「イエスを信じたら、無条件の愛によって許され天国に行ける」という「無律法主義」の教えは、サタンが教会にばら撒いた偽の教えです。
神は、悔い改める者を許します。その許しは絶対の許しですから、
100%許されます。しかし、悔い改めることをしないクリスチャンの罪はそのまま残りますので、彼は地獄に行きます。教会は、悔い改めないクリスチャンを絶対に許してはならないのです。悔い改めないクリスチャンに聖餐を授けている教会があれば、その教会は裁きを受けて弱くなります。戒規をしっかりと行って、罪を悔い改めないクリスチャンを切り離さないと、その罪の病気は同じ体の一員であるすべてのクリスチャンに及び、教会はどんどん弱くなって、世俗が強くなり、日本はクリスチャンの影響のない国、堕落した国、早晩滅ぼされてしまう国になります。
パウロは、しきりに、「救いを達成せよ」と奨めています。それは、何故かというと、福音を信じて洗礼を受けてクリスチャンになっても、「不品行や姦淫、泥酔、…」などを犯して悔い改めないならば、救いからもれてしまうからです。
<ご質問>
富井さんなら分かっていると思いますが、今は道徳的に荒廃しています。僕よりも若いクリスチャンの事を考えると気がかりです。神の国の建設のために祈るのはもちろんですが、彼らのためにも祈らねばならないと思います。
<お答え>
祈りましょう。
02/02/09