国家の自治権
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ご質問>自治権は、その国家が神の法に違反していない限りにおいて与えられていると富井さんはおっしゃられました。この自治権が剥奪されるのは、その国家がジェノサイドのような人権迫害を行っている場合に限定されるのでしょうか?また、自治権が剥奪されることに関して述べられている聖書の箇所はあるのでしょうか?
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お答え>コソボやアウシュビッツなど、その国家の手によって非常に多くの人々が虐殺されているのにそれを黙殺することは、「血の傍らにむなしく立つ」(レビ記
19:16)罪に等しいと考えられます。国家は警察と軍隊を持っており、民衆の力が小さい場合が多いのですから、内部革命を期待することが困難な以上、他国の軍隊がその国家に対して闘いを挑む以外に方法はないでしょう。国際社会が内政干渉できる場合は、このようなジェノサイドの場合に限られると考えます。「<血>の傍らに…」とあるように律法が命じているのは、無実の人々が虐殺されることを黙認してはならない、という戒めだからです。ルアンダにおける部族間大虐殺に対してアメリカと国連が黙殺をしたのは誤りであったと思います。また、コソボにおけるセルビア人によるジェノサイドに対してNATOが空爆を行ったことについて正しい選択ではなかったかと考えます。
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ご質問>律法は、違反するものに対して宣戦を布告すると富井さんはおっしゃられました。旧約の時代は啓示によって宣戦を布告するように命じられまし
た。新約の時代においては、どのような形で神様から宣戦を布告するように命じられ、戦争に召されるのでしょうか?
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お答え>宣戦を布告するというのは、すでに述べましたように、その法律の下にいる人々に対することです。つまり、「法は宣戦布告する」というのを言いかえれば、「法律は、それを守らない自国民に刑罰を下す」という意味です。しかし、神の法は、普遍的なので、場合によっては、他国の人々を裁く必要が生じる場合があります。先ほどにもいいましたように、ジェノサイドによって無辜の民が大量に虐殺されているような場合、国際社会はそれを黙殺してはならず、国の法律を超えて、超国家的に悪を裁く必要が生じる場合があります。
新約時代においては、完結した聖書があるのですから、聖書に従って自国民や他国に対して宣戦を布告するべきです。
つまり、国家は、(1)聖書に違反する行為を犯している自国民を「聖書に従って定められた」国内法によって裁き、(2)聖書に違反する行為を犯している他国を、「聖書に従って定められた」国際法によって裁くべきです。(*)
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ここで「聖書に従って定められた」と鍵括弧でくくったのは、現代の国内法や国際法は必ずしも聖書に従っているのではなく、近代思想に従っているからです。近代思想は、神ぬきの世界観を持っているので、例えば「姦淫罪」を裁く規定がないことが多いのです。最近では、ホモの結婚を認める法律すらできています。
法律が神の法から離れて行く場合、神は、その国家に統治能力がないと判断され、その国家そのものを裁かれます。
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ご質問>共産主義の唯物論は偶像崇拝に値するのでしょうか?
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お答え>偶像礼拝とは、「アブラハム、イサク、ヤコブの神ヤーウェ以外のものを神とすること」です。
共産主義の唯物論は、人間の主は、ヤーウェではないと主張するので、偶像礼拝です。
02/02/10