ペルー人質事件の特集番組を見て by 富井 敏夫
こちらでもペルー事件放送を見た。
ペルー政府もなにを血迷ったか。 人質救出の勇士たちを 無抵抗者しゃさつの罪で裁判にかけるということだ。
極度の混乱時に、どちらが一瞬時の差で射撃を遅らせるか、または先を制するかで生死を分けるのだ。 相手が無抵抗であったかどうかは、沈静化後に第三者を交えて実況見分なみの検定をやってのことであろうに。 後になってからの正論は、いわゆる後知恵というものだ。 瞬時の判断と処置に対して正鵠を得た議論は不可能だ。
投降者必ずしも無抵抗者ではないところに、MLTAのうな卑劣者集団の持つ危険な特徴がある。 完全無抵抗者の確信 (状況のしからしむるところ、判断責任は勝利者側。 敗者側は武器を放棄する、識別可能な服装をしているなどの義務あり) を得てから捕虜としての取り扱いを受けることになる。
ペルー事件の場合、常軌を逸した長期間にわたって「無抵抗者」に向かって銃殺練習などで極限まで脅し続けた人非人が不意打ちを受けた状況であることを考えれば告発者に無理があり、言うところは詭弁である。 また捕虜取り扱いについても不当、不法は問うべきでない。 これが有罪ならば、だれが国家の危急に身を賭して暴力犯に立ち向かうことができるか。
世にも不思議な団体がある。 「死刑廃止議連」である。
大島玲子(社民) 土井たか子(社民) 保坂展人(社民) 福島瑞穂(社民)亀井静香・中川秀直・松岡利勝 (自民) 山花郁夫(民主)土肥隆一(民主)上田 勇(公明)荒木清寛(公明)浜四津敏子(公明)
「残虐だ」「抑止効果はない」「国家の殺人だ」「冤罪の可能性」「世界の潮流」いずれも 簡単に反論できるものばかりだ。
ただ看過できない要素がある。
「私はクリスチャン。殺すことは神の戒めにそむくこと。私は死刑反対」という善意のクリスチャンには、聖書全体の文脈を把握していただきたい と申し上げる。
今回のメール。 時宜にかなった論説であった。 ありがとう。
02/10/14