擬似科学と批判する前にやることがあるだろ
今日の科学オタク達は、「反証の可能性を残さないあらゆるドグマチズムは擬似科学だ。だから創造科学は擬似科学だ。」というような屁理屈を言うのであるが、それを言えるのは「科学は常に反証の可能性を残さねばならない。」という決まりが正しいことをまず証明してからである。
もし、懐疑論の理性批判の前提に立って、「人間の知は常に不完全であり、確立された絶対の真理などというものを得られると仮定することは常に違法である。」というならば、「では、懐疑論の前提である『認識は常に人間から出発しなければならない』が正しいと誰が証明したのか。」と言われてしまう。
創造科学は、神から認識を開始するという、非有神論の認識論とはまったく異なる前提から出発しているが、この前提が間違っていると誰が証明できるのか。
だから、相手に向かって擬似科学だといくら叫んでも、「非有神論者が勝手に決めた「科学」の定義に創造科学が当てはまらないというだけの話しだ。」と一蹴されてしまう。
もっと…なんていうか、突っ込んで考えろよなぁ。