愛情の渇きを癒すもの
親の愛情や、異性の愛情、夫婦の愛情、親子の愛情、などに恵まれなかった人々にはある種のハンディがあるかもしれない。
ある人は、愛情を受けられなかった人は、母国語ではない言葉を学んだ人に似ている、と言った。
たしかに、意味はわかる。しかし、胸にぐっと来ない。
たしかに、しゃべることはできる。しかし、すんなりと出てはこない。
愛情を受けられなかった人は、外国語を話す人のように、愛情を真に自分のものにすることができない。
それでは、どのようにすれば、受けることのなかった愛情を補うことができるのだろうか。
ある人は、親からの愛情の欠如を、恋人によって埋めようとした。
ある人は、社会において挫折した自分を取り返すために、子供の将来に夢を託した。
しかし、多くの人は、ますます愛情に飢え渇き、自尊心を傷つけられていった。
欠いた部分を埋め合わせようとすればするほど、他人との関係は破壊されていった。
愛情を求める人は、喉の渇きを癒そうとして、海水を飲んでいる人に似ている。愛情を受ければ受けるほどますます乾きを覚える。
愛情を受けようとすれば、渇くだけである。
本当の解決は、愛を求めることにあるのではなく、愛を与えることにあるのではないだろうか。
「受けるより与えるほうが幸いである。」とイエスが言われたように、本当に満足する人は、愛を与える人ではないだろうか