積み重ねられた岩の狭間から、絶え間なく清水が湧き落ちて居ります。
「これが真名井ですね。
井は泉で、古代人の生活には最も大切な物でした。
人々はこの水で身を清め、そして神を祀ったのでしょう。
そこにあるような建物が造られ、神社と呼ばれる様になったのは大分後の事です。
社殿の裏手に注連縄を張った大きな岩が見えるでしょう。あれを磐座(いわくら)といって、あそこに神様が宿っていると昔の人々は信じていました。日下部のご先祖も、あの岩に向かって祈りを捧げたのでしょうね」
堀井さんのお話を聞きながら、私はこの聖域に同化して行く様な不思議な気持ちを味わっておりました。
岩に向かって佇む私を、ご先祖の皆様がとり囲み支えて下さっている様に思われ、ただ、涙が溢れて参ります。
「偉大なる先祖よ、貴方にお会いする事が出来て私の心は感激と喜びで張り裂けそうです」と心の中で叫びながら、私はただその場に立ち竦んでおりました。
しかし考えてみると、何と不思議な事で御座いましょう。
堀井さんが常仁と一緒にお仕事をされなければ、そのお仕事を通して棟方様とお近付きにならなければ、堀井さんに昨夜のお二方からのお誘いがなければ、私は今、ここにこうして立っている事などなかったので御座います。ただ東京の片隅で、何も知らぬまま命終えたことで御座いましよう。ただただ不思議な喜びに包まれて私達は神社を後にいたしました。
【 会 話 】
K「何でここにダビデの星があるの」
H「どうしてだろうな、私もこんなものがあるなんて思いもしなかった」
K「伊勢神宮にあるってことは聞いてたけど」
H「ここはその伊勢の元宮だから、あっても不思議じゃないってことかな」
K「この神社を祀ったのは日下部だって堀井さん言ってたけど、そうすると日下部とダビデの星は何か関係があるってことなの」
H「日下部が持ち込んだ可能性はあるな」
K「秦氏ってのはユダヤから来たって何かで読んだけど、日下部もそうなのかな」
M「我が家のご先祖はユダヤ人だったの?」
H「ちょっと、そう結論を急がないで下さい。
昔から《日ユ同祖論》という説をとなえるひとびとの流れがありまして、例えば秦氏はユダヤ人で京都にはその証拠が沢山有るとか、東北のどこかにキリストの墓があるとか、その地方や伊勢あたりの民謡はヘブル語で解釈出来るとか色々いわれているんです」
K「伊勢神宮の鏡にはへブル文字が書いてある」
H「そう、そういう風に色々言われてはいるけれど、そのどれを見ても、ただ、一つ一つの事象を生のまま取り上げて、それをそのまま結論に結びつけているって感じだな」
K「……」
H「ユダヤ文化が、いつ頃どういう経路で日本にはいって来たのか、それを運んで来た人々は誰なのか、人類学・言語学・考古学といった様な様々な分野からそれをどう裏付けていく事が出来るのか……
その辺の分析が全く省略されているんだよ。
しかしそういった方面からの追求は難しいだろうな」
K「でも可能性があるならやって見たいな。
さっき堀井さんは天橋立を見ながら、これは天と地を結ぶ梯子だ、って言ってただろう」
H「風土記にそういう伝承が書いてある」
K「まるで聖書に出てくるヤコブの梯子じゃないか。
地上での接点が真名井神社だとしたら、あそこはこの世界(地上界・現世)への入口っていうのか、要するに地上における出発の地点で、終点は伊勢神宮と言う事になる。真名井神社と伊勢を結ぶ道の両端にダビデの星があるって事はやっぱり問題だな」
H「そう、大きな問題であるって事は確かだ。
伊勢のダビデの星は、外宮と内宮を結ぶ参道にあるらしい。道はロゴス(神)だからな」
K「……」
H「それに小牧さんは、真名井のマナは旧約聖書のマナに関係あるかも知れないって言ってたよ」
K「そうすると”井”は」
H「井は泉で聖水、浄めの水。
真名井っていうのは食物を浄めて神に捧げるって意味かな。豊受大神は食物の神でもあるし」
K「いや、驚いたな全く!
岩から湧き出る清水、マナ、そしてあの大きな磐座、天に昇るハシゴ。
どれをとっても旧約聖書、特に出エジプト記の再現だ」
【モノローグ】
以上は字良(うら)神社へと向かう車中での会話で真名井神社との出会いは、お二人に強烈な衝撃を与えたらしい。
溝江春子さんはただ茫然と境内にたたずみ、川口氏は旧約の世界に呪縛され、途中、折角の伊根湾の風光も、多分お二人の記憶には残されていない筈である。
宇良神社を歩きながら、浦島に関する私の解説も空しく宙に消えた。
小牧氏の紹介もあり、宮司さんを訪ねてお話を伺えれば、と思ってはいたのだが、この状況では話もすすむまい。
此処は次回再訪という事にして時間の関係もあり朝倉へ急ぐことにした。 |