7 朝倉で”故郷”を見た
網野町をすぎ、久美浜で遅目の昼食、意外と美味しいものが出てきて、退屈していた店のご主人と話がはずむ。
これがいいきっかけとなり、全員気分転換。旅人の平常心に戻り、但馬朝倉へと出発した。
会話はまださっきの続きだが、ジョークもまじる様になる。
【 会 話 】 承 前
H「さっきの食事、マナの味がしなかった?」
K「まさか」
H「ご主人もいい顔してたな、包丁を持った姿もきまってたし」
K「そういえばマナイタなんてのは食物を調理する板って意味かな」
H「冗談みたいだけど意外とそうかもしれない。しかしこういう問題は、その気になったらどうにでもこじつけが出来るんだよな。
例えば、浦島はウル・シュメールの転訛だ、なんて言ってみる事も出来る」
K「ウラ・シマ→ウル・シュメール。本当にそうだったんじやないの」
H「今のは口から出任せ。ただ、話し手と聞き手の状況次第で、これがいかにも”ありそう”に聞こえてくる」
K「……」
H「これは別として他の場合、例えばダビデの星なんかは、可能性ゼロとはいいきれないだけ厄介なんだな」
K「堀井さん、ダビデの星を持って来たのが日下部だった可能性はあるって言ってたよな」
H「それは言ったよ」
K「だとすれば、日下部自身がユダヤから来た可能性は」
H「それなんだよ。日下部がダビデの星を持ってきた。
ダビデの星はユダヤのシンボルマークだ。だから日下部はユダヤから来たんだろう。
一見、ごく自然な論理の進展の様ではあるが、ちょっと待ってくれ、という事になる」
K「というと」
H「原・日下部が西域のどこかで、例えばユダヤ十二部族の一つとして存在していた、という推定が抜けてるんだな。その痕跡らしいものを幾つか見付け出す事でも出来ればさっきの考えも成立する可能性が出てくるけど、現在の歴史学でば証明は難しいだろうな」
K「じゃあ、ダビデの星は?」
H「シルク・ロードを通って西域の文化が中国に流入した。これは事実」
K「……」
H「あくまでも”今の所”だけど、私は日下部の出発点として中国の江南地方を考えている」
K「江南って」
H「揚子江をちょっと遡った、洞庭湖のあたり。そこに浦島伝説の原型があるそうだ」(補注・5)
K「シルクロードを通って中国へ入ったダビデの星を、そこにいた日下部の先祖が日本に運んで来た」
H「そう、中国に持ち込まれたダビデの星は、そこで道教の星宿信仰や陰陽五行説なんかと習合し、その道教を日下部が日本に持ち込んだんじゃないかな」
M「日下部は道教の信者だったのですか」
E「もう少し複雑なんですよ。
シルク・ロードを通って中国へ入つてくるのは《宗教》という限定された形ではなく、宗教に包含された芸術や技術、例えば冶金・織物・製陶の技術なんかが全部、美術だとか宗教・思想等と一体になって、《西域文化》という形で入って来るんですね。
道教というのは、元々中国各地にあった色々な民間信仰が習合されて出来上がった宗教で、成立してからも、その後新しく入ってくる宗教思想、仏教だとかキリスト教までその中に取り入れてだんだん大きくなっていくというある種の複合宗教なんです。
当然その中にユダヤ教の思想・文化等がはいりこんでいた可能性はありますね」
K「中国でワンクッションあった訳だ」
H「そう、その上中国から直接日本に入ってくるルート、一度朝鮮に入り、そこで北方系文化と習合した上で渡来するルート、一口に道教と言っても一筋縄じゃいかないんだな、これが」
K「古代史やってる人って大変だな」
H「……?」
K「宗教の場合、すでに結論が呈示されていて、我々はただそれを信じればいい。
古代史の場合、結論までにものすごく複雑な証明だとか何だとか、色々な手順がいる」
H「我々は結論に辿りつく事を夢見て一生旅を続ける悲しい旅人ってとこかな。
やっと辿りついたと思っても安心は出来ない。
だれかが”そこは終点じゃないよ”って教えてくれる」
K「堀井さん疲れたんじやない?運転替わろうか」
H「センチメンタルージャーニ−って言うだろうが、旅を楽しんでるのさ。
それはともかく、今回の場合、我々が今ごろこんな所を走っていると言うのは溝江から日下部までの歴史に触れる為で、これは宗教の分野ではなく古代史の分野に属する事なんだぜ」
K「そうなんだよな。しかし我々がここにこうしていると言うことはあまりにも不思議に満ちていて、やはり神の御心としか言いようがない」
M「おまえはすぐ神様に結びつけるけど、今度ばかりはそうじゃありません。これはご先祖様のお導きです」
K「だけどね、母さん……」
H「ストップ!その議論は帰ってからゆっくりお二人でやってくれ。
折角御先祖様の活躍なさった所をこうやって走ってるんだから、それがどんな所だったのかしっかり見ておかなくちや。
神は我々一人一人に対して、色々な形をとって呼び掛けてこられる。
或る人にはダビデの星、或る人には御先祖様の形を借りてね」
K・M「……」
H「おれ、牧師になってた方が良かったかな」
K「いや、音楽をやってて良かったんだよ。だからこうして知合って、一緒に仕事をするようになって、先祖の事を一緒に調べる事になった。
神が堀井さんに古代史を勉強するよう命じられたんだよ」
H「……?」
【 手 紙 】
日下部と申しましてもあまり遠い昔の事となりますと、私にはよく分からない世界の様です。
まだ朝倉という響きの方が、身近な親しみをかんじます。遠い親戚と近い親戚、そういったものかも知れません。
日下部が朝倉という姓を名乗る様になったという、その朝倉が近付くにつれて、私は不思議な気持ちに襲われました。
私どもがそちらに向かっている、というより、むこうが私共を引き寄せている、そんな力をかんじるのです。
「こんなに長い間待っていたんだ。早くきて顔を見せなさい」
そんな声が聞こえる様な気がするのです。
朝あんなにも雲が多く、時には小雨が降っておりましたのに、今は全く晴れ上がり、山々が輝いております。
「あのあたりが朝倉です」という堀井さんの声を聞いて、やっとたどりついた、という思いが込み上げて参りました。
出石町を過ぎ、日山川を渡ると八鹿(ようか)の町に入ります。
このあたりは山間の小さな盆地で、町を抜けると田畑が広がり所々に小さな集落が点在しておりました。
「多分あれがそうだと思います」と地図を調べていた堀井さんの言葉で、車はそちらにむかってはしります。
誰かに聞いてみては、という事で、丁度畑仕事をしておられた年配の御婦人に道を訊ねますと、その方は私達三人の取り合せを不思議そうに眺めながらすぐ下手の細い道を指差し、そこを真直ぐ行って山に突き当たるとそこが朝倉であるむねを丁寧に教えてくださいました。
やっと車が通れそうな、細い畑道です。
堀井さんと常仁が御婦人と話をしている間、私は車の傍に立って、何気なく目的の集落とその背後の山々を眺めておりました。
その山には二つの蜂があって、その峰の間、谷になっている部分の真下に目的の朝倉があります。
集落のたたずまいを眺めていた私の目は、不思議な雲をその上空に認め、それに釘付けになりました。
二つの峰の谷間、朝倉の真上にぽっかりと浮かんだ丸い白い雲、本当に何という不思議な雲でしょう。
大きからず小さからず、厚みの感じられるその雲は神々しいとでも申しましょうか微動だにせず、じっと私を見つめているように感じられます。そして「お前ははるばるここまで本当によく来たね」と、私に向かって話し掛けている様に思われるのです。
先祖が私を迎えて下さった、と感じたその瞬間、喜びが全身を駆けめぐり、暖かいものが胸一杯に広がりました。
車が走り出しますと、その雲は、厳かに静々と山のはざまに沈んでゆきます。その頃堀井さんと常仁もやっと気が付いた様です。
堀井さんは慌てて車を止め写真をおとりになりましたが、もうその位置からでは全体を見る事は出来ず、一番上の部分がほんの少し見えているだけで御座いました。この度巡り合った不思議な現象は、生涯私の脳裏より消え去る事はないでしよう。 |