エピローグ
溝江春子さんの手紙はここで終る。
まだ続いてはいるのだが私事にわたる事、省略させて頂いた。
私達の旅もここで終る事にしよう。この後養父(やぶ)神社など訪れたのだが、これも宇良(うら)神社に同じく、西村家との出合いにつつまれたお二人にとっては、ただ夢の中の参拝であった。
ここも来春再訪することとし、粟鹿神社を加えてこの旅の続編を記すこととしたい。
西村家との出会いは、私にとっても不思議な体験であつた。
もし我々が村の入り口で右手の道を辿っていたとしたら、
道の途中に車が止められていなかったとしたら、
私達はただそこを通り過ぎ、朝倉は行きずりの地として旅を終えただろう。
偶然の重なりは、不思議な物語を創り出すものである。
川口氏はこれを神の摂理と呼び、御母上は御先祖の導きという。
私はこれを奇跡と見るべきなのであろうか。
西村さんはこのような私達を、どの様にみていられたのであろうか。
西村さんには他にも色々とお世話になった。
木立の奥の古い五輪塔を案内していただき、西村家の歴史の数々を教えていただいた。
木瓜(もっこう)の紋にちなんで、西村家は今だに胡瓜を作らないという。私はそれを、形を変えた先祖の祭りと見たい。そしてこの祭りは、可愛いお孫さん達の世代にも、是非受け継いでいただきたいものである。
西村家には系図の他に古文書類も保存されており、十年ほどまえ、どこかの大学の先生が調査に見えられたという。
私も是非拝見したい資料であった。
来春、溝江春子さんと共に再訪することとしよう。
以前調査に見えられたのは、多分高野山大学の日野西真定氏と思われる。
氏の論考『但馬の山岳信仰』に「西村家文書」の記載があり、丁度十年前に発表されている。
朝倉の夕景は美しかった。
傾く夕日の中で語りあう二人のご婦人の姿の、何と耀いていたことか。
六百年の歳月をへだてて、あまりにも遠い親族の偶然の出合い。
お二人に並んでいただき、朝倉古城跡を背景にシャッターをおす。
系譜で結ばれるとはいえ、現実のお二人につながりのあろうはずはない。しかし不思議にお二人の面差しが似通ってくるのである。読者は写真から確かめていただきたい。
この旅で得た感動は帰りつくまで我々と行をともにし、今だに我々と共にある。 |