追記

 

 小牧氏との出会いは、半日にも充たない慌ただしいものであつた。

 

 短い時間の中で与えられた知識はあまりにも多く、もし原稿の内容に不備があってはとチェックをお願いした所、次の諸点についてご教示を頂いたので、補注の形にまとめ、稿末に記しておいた。

 年末の多忙な時期、貴重な時間を割いて下さった事を紙上を借りて深謝しておきたい。

 

 白崎昭一郎氏・川見時造氏からも適切な御助言と資料を頂くことが出来た。

 何れも文面を訂正、資料は稿末に収録させていただいた。御厚誼を感謝したい。

 

 

補注・1 丹後の日下部伝承地は @宇良神社 A網野神社の他に B熊野郡久美浜町市場 日下部神社がある。

 ヲケ・オケ伝承地は文中の大宮町五十河を中心に、加佐郡から与謝郡にわたって計六ケ所が数えられる。

 

補注・2 〈影〉は〈影・蔭・加宜〉等と表記されるが、産鉄神天目一箇神の亦の名〈天御蔭神〉の神名に用いられている点に留意したい。

 

補注・3 朝倉氏は一乗谷を本貫とした時、赤渕神社を勧請すると共に、総氏神である粟鹿神社の〈粟鹿〉の地名も越前に移している。

 

補注・4 匏(ひさご・ふくベ)は海民の浮揚具以外にも、生命の源泉であるマナ・聖水を盛る唯一の原始的容器と考えられ、それは航海時にも水を貯えて携行する聖具ではなかったか。

 

補注・5 洞庭湖は浦島伝説の原郷であるばかりではなく羽衣伝説の原郷でもあった。

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 右は生野の見石幕に刺繍された「抱茗荷」左は川見時造氏よりお送り戴いた粟鹿神社の神紋である。

 細部が異なってはいるがテーマは同一であり両者の関係の深さを思わせる。

 日下部氏と鉱山関係者との繋がりを推測する上での、重要な手掛かりの一つであろう。

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