進化論による世界総マインドコントロール
恐竜の番組が最近テレビであった。
実写かと思われるほどうまく撮れているが、残念ながら進化論に基づく解説がほどこされていた。
このようにして、日本人も世界の人々も、進化があたかもあったかのように錯覚してしまう。
今日の学界、マスコミ、教育界は、みな、進化論を鵜呑みにしている。
だから、世界総マインドコントロール状態なのだ。
恐竜の歯についているギザギザひとつであっても、その成立を合理的に説明できないのに、恐竜から鳥ができただの、生物はみな海から出ただのと空想でものを言っている。
ティラノザウルスの歯についているギザギザは、どのようにしてできたのか。
発生後の獲得形質は遺伝しないのだ。
だから、徐々に世代を経るうちにそのようなギザギザを獲得した、などということはできないのだ。
肉を食べやすいように願っているうちにギザギザの刻み目がついたわけではないのだ。
それでは、どうやってそのような便利なものが歯についたのか?
進化論者は、遺伝子の塩基配列の偶然の並び違いによって、遺伝子のコピーミスや、突然変異によって、そのようなものができたと説明する以外にないのではないか。
こんなこと信じられるだろうか。
歯にギザギザが偶然ついたとしても、「偶然」つく ということは、それがデタラメにつくということである。
すなわち、「偶然によって」ギザギザがきれいに歯の片側に揃ってつくなどということを期待することは間違い無く不可能なのだ。
経験からいっても、偶然にあるものが一列に並ぶなどということを期待することはできないことは分かるであろう。
ギザギザの歯の山の1つと、それとまったく同じもう1つが隣り合うことを待つなどとは何億年待ってもできない。
そもそも、肉を噛み切る鋭利な歯が1個でも偶然にできることすら期待はできない。
「偶然」とはそのようなものだ。
このような偶然の作用だけに頼ってしか成立しないようなモノは科学でも何でもない。
偶然に塩基配列が変化したことによって何がしかの有用なものが生まれると考えるだけの想像力があれば、創造の神を信じたほうがよいのではないか。
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ギザギザのついたナイフの歯の目の一つが偶然にできることを期待することは愚かである。
まして、それと同じ目が隣に偶然に現われることを期待することも愚かである。
まして、それが100もきれいに並ぶことを期待することはなおさら愚かである。
これだけ珍妙なことを信じている進化論というものが世間から相手にされなくなるのは時間の問題である。
はやくこのような愚かなモノがテレビやキャンパスから消えることを願うものだ。