奇跡を否定する者は神を拒む者である

 

 神は、通常、被造物の秩序を自然法則に任せておられる。

 

 だから、我々は、普通、瞬間移動したりすることもないし、病院に行ったり薬を飲まなくても病気が治るなどということもない。

 

 しかし、このように神が自然法則を通じて世界を支配しておられるからと言って、それが「唯一の」方法であるとは言えない。

 

 もし、それが唯一の方法であるというならば、今日、我々が毎日祈りをしたり、日曜日に礼拝をすることは、無意味である。

 

 我々が祈ったり、教会に通うのは、この世界の自然法則を越えた御方の御心を知り、彼を崇拝するからである。

 

 この意味において、我々は、日常的に超自然=奇跡を体験している。

 

 もし、このような超自然性を認めるならば、瞬間移動や除霊や、神癒なども認めない理由はない。

 

 瞬間移動や除霊や、神癒に違和感を持つとすれば、それは我々が常識にとらわれているからである。我々のほんのささいな経験に基づいて世界を解釈しようとしているからである。

 

 我々は、神のように全知だろうか?

 我々は、この世界において絶対に、瞬間移動や除霊や神癒がないと断言できるだけの知力を持っているのか?我々は、神よりも優れているのか? 

 

 神が明確に、奇跡は存在すると述べておられるのに、我々は、なぜ自分の知恵に頼るのか?

 

 「tomiさんがどんなに言ったとしても、わたしは到底納得できません。」というならば、その人は、神を拒んでいる。

 

 もし私が自分の意見を述べたならば、彼はそれを受け入れるのも拒むのも自由である。しかし、聖書が述べていることを拒否するならば、彼は神を偽り者としている。

 

 神が聖書において啓示されたことについて、我々は、信じる責任がある。もし受け入れたくないというならば、聖書から明確に証明しなければならない。

 

 聖書から反論する努力をしないならば、彼は、やはり神を拒む者である。神を拒む者が神の裁きをまぬかれると思ってはならない。

 

 

 



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