黙示録のすべての個所が「すぐに」起こる?
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ご質問>首尾一貫してくだいさい、と冨井氏は言われています。小生の質問は首尾一貫しています。小生はフル・プレテリストなる言葉すら知りませんでしたが、そんな事が知りたかったのではありません。貴殿は
666を解き明かすのに、黙示録の啓示は「すぐに」起こるはずでしたと言われたはずです。(「すぐに」とはギリシャ語辞典では、shortly, quickly, soon, speedily という訳語があてられているとさえ言われました。)小生はこの説は正しいのではっと思いましたが、黙示録の後半(小黙示録も同様)は明らかに主の再臨と大審判、そして千年王国のことが記されている。もし、これらの出来事が未だに起こっていないなら、貴殿の主張される666やその前後の解釈も違ってくるのでは、と思い先日の質問をさせて頂いたのです。それとも、「すぐに」という言葉は、黙示録全体ではなくて部分的な個所にしか掛からない、この個所も聖書の二面性を表したものなのですか?
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お答え>この疑問は、千年王国に関する誤解が解ければ解消します。
千年王国は、キリストが「天地の一切の権威を受け」(マタイ
28・19-21)てから、始まりました。黙示録20章の千年王国はキリスト以後の歴史をあらわしています。キリストは現在、世界の王であり、クリスチャンは復活し、キリストともに天の王座に座っています。
「しかし、あわれみ豊かな神は、…キリスト・イエスにおいて、ともによみがえらせ、ともに天の所にすわらせてくださいました。」(エペソ2・4)
サタンは現在縛られており、凱旋の行列に加えられた捕虜の状態にあります。
「神は、キリストにおいて、すべての支配と権威の武装を解除してさらしものとし、彼らを捕虜として凱旋の行列に加えられました。」(コロサイ2・15)
「また、主は、自分の領域を守らず、自分のおるべき所を捨てた御使いたちを、大いなる日のさばきのために、永遠の束縛をもって、暗やみの下に閉じ込められました。」(ユダ6)
キリスト以前において、異邦人は救いから遠く、サタンの支配下にあり、「この世にあって望みのない者」(エペソ
2・12)、「暗やみの中にすわっていた民」(マタイ4・16)でしたが、今や異邦人に光が上り、サタンの惑わしから解放されました。「神は聖徒たちに、この奥義が異邦人の間にあってどのように栄光に富んだものであるかを、知らせたいと思われたのです。この奥義とは、あなたがたの中におられるキリスト、栄光の望みのことです。」(コロサイ1・27)
「すなわち、キリストは苦しみを受けること、また、死者の中からの復活によって、この民と異邦人とに最初に光を宣べ伝える、ということです。」(使徒26・23)
「なぜなら、主は私たちに、こう命じておられるからです。『わたしはあなたを立てて、異邦人の光とした。あなたが地の果てまでも救いをもたらすためである。』異邦人たちは、それを聞いて喜び、主のみことばを賛美した。そして、永遠のいのちに定められていた人たちは、みな、信仰にはいった。」(使徒13・47-48)
「わたしは、この民と異邦人との中からあなたを救い出し、彼らのところに遣わす。それは彼らの目を開いて、暗やみから光に、サタンの支配から神に立ち返らせ、わたしを信じる信仰によって、彼らに罪の赦しを得させ、聖なるものとされた人々の中にあって御国を受け継がせるためである。』」(使徒26・17)
「千年間」を文字通り捉えることはできません。もし千年間を文字通り解釈しなくてはならないのであれば、黙示録の他の個所も文字通り解釈しなければなりません。
2000キロ四方の巨大な町が天から下ってくることを文字通り信じなければなりません。「千年」は、象徴的表現であり、聖書における完全数10の3乗であり、長い完全な年月を表すと考えるべきです。カルヴァンは、この千年を、キリスト以後の歴史全体と見ています。「すぐに、キリストの支配を千年間に限定する千年王国論者が現われた。彼らの作り話は、あまりにも幼稚すぎて反論する値もない。ここ(黙示録
20章)で言われている千年間は、教会の永遠の祝福について述べているのではなく、この世において戦う教会を待ちうけている様々な困難について述べているのである」(キリスト教綱要第3巻25・5)千年王国に関するこの立場は、紀元
4世紀のアウグスチヌス以来、教会が取り続けてきた立場でした。(アウグスチヌスは)千年間を象徴として解釈している。教会の聖徒たちは、地上で戦う兵士であり、昇天した人々は現在キリストとともに支配者である。この意味で、我々は現在千年王国の只中に生きている。教会時代は千年王国の時代と同一視されているのである(参照・『神の国』)。…アウグスチヌスは、神学思想全般の形成者、主導者の役割を果たした。彼の、神の国、教会、黙示録における千年王国の象徴などについての解釈は、千年以上もの間明白な影響力を持ち続けた。それは、高度な技術用語を駆使し、特殊な研究を進展させた現代の啓蒙的神学研究の洗礼を受けた後でもなおも強い影響力を持ちつづけている。彼のあとに続いたのは、偉大なラテン教父たち、大教皇レオ、大教皇グレゴリー、アルベルトゥス・マグヌス、トマス・アキナスらであった。かくして、前千年王国説は、教会によって禁止され、排斥された。この立場が台頭したのは、後に登場した一部の分派主義者やセクト主義者の間だけであり、それらは今日に至るまで、周期的に現われては消えていった[末梢的な]運動でしかなかった。その粗野で非聖書的な形態ゆえに、前千年王国説が、教会の支配的な信仰から奨励を受けたということはなかった。(Dr. William H. Rutgers, Premillennialism in America, p.71, 1930. cited in The Millennium by Loraine Boettner, P&R, p.116; [ ]は訳者の補足。)
千年王国の後に最後の審判が行われて、サタンは火の池に投げ込まれ、クリスチャンとノンクリスチャンは復活し、それぞれ御国と火の池に別れ、新天新地がやってきます。
パトモス島においてヨハネに啓示された際に、キリストは、「すぐに来る」と言われました。そのように、大患難はローマ軍を通じてユダヤを襲い、ユダヤ民族は世界に離散しました。しかし、啓示には、その後の世界の歴史の展望も含まれていました。その後続く教会時代は、千年王国として叙述され、教会の完成の後に、最後の審判があり、歴史が完成します。
「すぐに起こる」というところから私が言おうとしたのは、「黙示録のすべての記事が紀元
70年に起こる」ということではありません。いくらなんでも「千年王国」まで1年のうちに起こるなんて言うつもりはさらさらありません。
02/02/26