突然変異と自然淘汰で自然を説明できるか?
突然変異によって、DNAに塩基配列の変化が生じ、新しい形質ができ、環境に適応できた個体が生き残るとする説が本当であれば、この世界は、無駄な形質を持つ生き物で満ちていなければならない。
羽らしきモノを持つ鳥らしき動物:けっして空を飛べるわけではないのだが、何かこれから飛ぶのに役立ちそうな予感を感じさせるモノをつけてバタバタ走りまわっている。
巣らしきモノをつくる、蜘蛛らしき生物:巣を作るのだが、糸にねばりけがないため、せっかくかかった昆虫もすぐに飛び去ってしまう。
まあ、このようなデキソコナイの動物や生物たちが無数に『今日でも』存在しなければ、進化論の突然変異と自然淘汰の理論は成り立たないのではないか?
現実を見ていただきたい。
動物たちや植物、昆虫たちは、きわめて精緻で有用な器官を備えており、無駄というものがほとんどないではないか。
互いに共生して、合理的に生きているではないか。
一見無駄に見える様々な器官や動物、植物たちも、実はこの自然界を構成する欠くべからざる役割を果たしている。
自然界を見るときに、我々は、「壮大な試行錯誤の混沌」を見るより、「偉大な完成された秩序」を見るのではないか?