新しい創造
クリスチャンは神を恐れます。
しかし、神を恐れずに何かをしてしまうこともあります。
それでも、キリストが大祭司として天においてとりなしていてくれるので、クリスチャンは悔い改めることによって赦されます。
ノンクリスチャンには、そのようなとりなし役がいないので、その罪は残ります。
この世界は、神によって創造されていますので、神の法律に違反した場合、その違反には必ず刑罰が伴ないます。
どの国家においてでもそうですが、法律を定めたものは、違反を処罰せずにはおきません。もし違反の処罰がなければ、その法律は法律ではなく単なるアドバイスに過ぎないものになります。
だから、主権をもつ国家は、その国家の中において犯されたすべての違反を処罰しなければならないのです。そうしないと国家は崩壊します。違反の処罰は、国家を存在させるための必須条件です。
さて、万物は神の創造であり、この世界はすべて神のテリトリーですから、その中において犯されたすべての罪は神の処罰の対象となります。もし、処罰しなければ神は主権者ではないということになり、この世界は神の所有ではないということになります。つまり、この世界で神は神でなくなってしまいます。
神は絶対にこの世界の所有権を放棄せず、その中において絶対の主権を主張されます。
それゆえ、神は、その主権を維持するために、あらゆる罪を処罰せざるを得ません。
さて、すべての人は大なり小なりの罪を必ず犯します。
侵略戦争をしかけて無辜の民衆を大量虐殺する独裁者の罪から、日々犯す小さなウソまで、人間は絶えず罪を犯しつづける存在です。
そのため、人間は常に神の刑罰と直面しており、あらゆる罪は日々積み重なり、罪の記録簿に次々と書き記されています。
神の記憶は無限であり、あらゆる行動を観察し、正確に評価されるため、神のみ前において時効はありません。
どのような小さな罪でも、消えることなく残ってしまいます。
一日のうちに、例えば、ウソを1回、怒りを1回、色情を持って異性を見ることを1回犯したとします。
1年で犯した罪の回数は、3x365で、約1000回となります。
これまで約30年生きてきたとすると、30x1000=30000回の罪が累積しています。
これから後30年生きたとして、30000回が追加されます。
合計で60000回の罪が人生の記録簿に残ります。
もちろん、1日に3回しか罪を犯さない人なんていないですから、実際の数はこの何倍にもなるでしょう。
さて、この罪を持ったままでは、絶対に神に受け入れられることはありません。
神は、その罪を必ず処罰しなければならないからです。
「人は一度死ぬことと、死後裁きを受けることが定められている。」
罪が残ったまま死ぬと、死後に裁きを受けて永遠の刑罰に定められます。
刑罰の場所から出ることは絶対にできません。
そのため、神は人を救う道をお定めになりました。
それが、キリストの十字架です。
神は、御自分のひとり子、罪を犯したことのない完全な人間イエス・キリストを十字架にかけ、信じる者すべての罪責を彼の上に置かれました。
人生の記録簿に累積している罪をすべて彼の上にかぶせて、彼を代わりに処罰されたのです。
誰でも彼の死が自分の罪の身代わりの死であったということを認める人は、絶対に刑罰に遭いません。
私たちが、キリストを信じるときに、すべての罪は赦され、神に受け入れられる資格を得ます。
私たちは永遠の刑罰ではなく、永遠の生命を得ます。
「わたしは、天から下って来た生けるパンです。だれでもこのパンを食べるなら、永遠に生きます。」
「私はキリストを信じたのですが、赦されたという確信がありません。」という人がいますが、キリストの赦しは、感情ではなく、法的な事実なのです。
裁判を受けて無罪の宣告を受けた人が、裁判長のところに何度も出向いて「どうも赦されたという気がしないのですが…」と言っても、裁判長は「もうあなたには無罪の決定が下されているのですから、安心してください。誰もあなたを逮捕しようなんて思いませんから。」と言われるだけです。
キリストを信じた瞬間に、罪は法的に処理されたのです。
感情に依存する人は、逆にそれを利用しようとするサタンの餌食になります。
サタンは、人を罪意識の奴隷としようとしていますから、救いについて疑う気持ちが出てきたら、「下がれサタン。私はキリストを信じたのだから、すでに赦されているのだ。」と言ってください。
「信仰がなければ神に喜ばれることはない。」
キリストを信じた人は、新しい創造です。
もはや彼はアダム族に属するのではなく、キリスト族に属します。
アダム族に属する人々は、その罪のために永遠の刑罰に定められますが、キリスト族に属する人々(クリスチャン)はアダム族の腐れ縁を絶ち切った新人類であり、永遠に祝福を受けつづけます。
彼は、キリストとともによみがえり、天に座って万物を支配する支配者になったのです。
「…神は、…キリスト・イエスにおいて、私たちをともによみがえらせ、ともに天の所にすわらせてくださいました。」
クリスチャンは、神の支配をこの地上に拡大する兵士です。
キリストの命令にしたがって自分に与えられた領域を管理し、隣人をキリストの弟子に導くことによって神の国は拡大し、ついに全世界の国民が神の弟子となります。
「それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。」
この神の国の拡大のために捧げられたクリスチャンの行いは、すべて永遠に報いとして残ります