再建主義は新しい教えを説いていない
再建主義が、これまで教会が述べてこなかった新しい教えを伝えていると誤解している人々が多いので、過去の正統的な教会が同様の教えを述べてきたことを紹介したい。
ウェストミンスター大教理問答書:
<第
キリストは、「御自身の教会を集め、守り、彼らの敵を従え給う。」
<第
191問への答え>「第二の請願(御国が来ますように。)において、…我々は次のように祈る。すなわち、罪とサタンの王国が打倒され、福音が世界中に伝わり、ユダヤ人が回復し、異邦人の数が満ちるように、と。また、教会にすべての福音の働き人と聖餐式が備えられ、罪から清められ…るように、と。」
サヴォイ告白(
1658年):「…主の御約束に従って、我々は、次のことを期待する。すなわち、終わりの時代に、反キリストは打倒され、ユダヤ人は召し出される。御子の王国に敵対する者どもは打ち倒され、自由かつ溢れんばかりの光と恵みに与ることになるキリストの教会は、発展し、啓発され、この世において、これまでよりもさらに豊かな平静と平和と栄光を享受する。」(
Schaff, Savoy Confession, Creeds of Christendom, p. 723.)
ジョナサン・エドワーズ「贖いの御業」(
1843年):「人の住む世界のすべての場所において、サタンの目に見える国は打倒され、キリストの御国がその廃墟の上に建てられる。その時、アブラハムへの約束『あなたのあなたの子孫を通じて、全世界の国民が祝福される。』が成就し、キリストは、ハガイ2・7のとおりに、すべての国民の希望となるのだ。キリストの御国は、文字通りに、すべての国民、全世界に拡がる。このように理解する以外に解釈のしようのない個所が聖書には数多く存在する。…イザヤ
45・22で預言されているように、全世界がキリストに期待し、救われる。…」(Jonathan Edwards, Works (1843) p. 488 ff.)
イギリスの「改革長老証言」(ベルファースト
1901年):
「預言は、キリストの王国が、すべての反対者に打ち勝ち、全世界において勝利する時が来ると語っている。ローマの反キリストは完全に打倒されるだろう。ユダヤ人はキリスト教に改宗し、異邦人の数が満ちて、全人類が主を知るだろう。主が人々の心を照らし、彼らを回心に導き、聖化されるだろう。この啓示と再生と聖化の力があらゆる所において感じられるので、あらゆる国民の多くの人々が主に仕えるようになろう。聖霊の豊かな傾注によって、知識と愛と聖さと平和が人々を支配するだろう。芸術、科学、文学、財産が清められ、キリストの御国の前進のために用いられる。社会制度が、福音の原理によって運営され、諸国民が己の力を主に捧げて奉仕しよう。圧政と専制は消滅し、諸国民は、戦争によって引き離されるのではなく、平和のうちに団結する。世界の人口は非常に増し、純粋で穢れのない宗教が彼らの心と生活を支配するので、幸福が満ち溢れるだろう。この至福の期間は長く続く。この時代は、多くの人々が真理と聖潔から逸れ、無宗教と犯罪がはびこる時代に引き続いて到来する。…」(
Reformed Presbyterian Testimony (Belfast, 1901), p. 137.)
いかがだろうか。
再建主義の教えは、教会の歴史においてすでに多くのクリスチャンが述べてきたものと同じであることがこれでお分かりだろうか。
教会が、キリストの御国の世界的拡大と勝利について否定的になったのは、第
1次及び第2次世界大戦による悲観思想(ディスペンセーショナリズム)の台頭による。クリスチャンは、ノンクリスチャンと同じように、原爆や環境破壊、道徳の退廃の現実に目を留めて、「これからばら色の未来が来るなんて信じられない」と言い始めたのだ。
しかし、昔のクリスチャンはそうではなかった。彼らは、現実に目を留めるのではなく、御言葉に信頼したのだ。倫理的状態について言えば、ローマ時代のほうが我々の時代よりも比べ物にならないくらい悪かった。今日、競技場の中で人間に殺し合いをさせたり、ライオンにかみ殺させたりする国家がどこにあるだろうか。戦争だって、古代から人間は間断無く悲惨な戦いを繰り広げてきたではないか。もちろん、近代兵器の破壊力は他の時代には類を見ないが、しかし、戦争の性格そのものは、顔が見える戦いであるだけ、現代のそれよりもはるかに残忍だった。今日、捕虜を神々にいけにえに捧げたり、奴隷として売り飛ばす国があるだろうか。
問題は、我々の周りの状況がどうであるかではない。御言葉に何と書かれてあるか、だ。福音が勝利し、全世界の国民がキリストの弟子となるのは確実だ。なぜならば、キリストがそのように約束されたから(マタイ
28・19-21)。
01/12/15