ノンクリスチャンとの結婚
<ご質問>
僕の周りの人々(教会の先生や家族)は、ノンクリスチャンとの結婚は止めなさいと言っていましたし、ミレニアム
HPにも、そういう人と結婚すべきでないと書いてあったので、どうしてだろうと考えてしまいます。なぜ、クリスチャンはノンクリスチャンと結婚(恋愛)してはダメなのですか?聖書に、その様に書いてあるのでしょうか、もし良かったら教えてください。
<お答え>
クリスチャンとノンクリスチャンとは、生活の原理が
180度違います。パウロは、信者と不信者との間の関係は、キリストとサタンとの間の関係と等しいとすら述べているのです。
「キリストとベリアルとに、何の調和があるでしょう。信者と不信者とに、何のかかわりがあるでしょう。 」(2コリント 6・15)
調和することができない者同士とは、互いに混じることができない者、つまり、水と油のような存在です。そのような者同士が、どうして、結婚という最も親密な関係を結ぶことができるでしょう。
パウロは、また次のようにも述べています。
「不信者と、つり合わぬくびきをいっしょにつけてはいけません。正義と不法とに、どんなつながりがあるでしょう。光と暗やみとに、どんな交わりがあるでしょう。 」(2コリント 6・14)
結婚は、「くびき」を共にすることです。くびきとは、
2頭の動物を首の部分でつないで、同じ仕事をさせるための道具です。クリスチャンは、神の御国の発展のために生きたいと願いますが、ノンクリスチャンはそのような願いをまったく持っていません。いや、場合によっては神を憎み、神を亡き者にしようとする人もいます。どうして、そのような人と同じくびきをつけることができるでしょうか。
クリスチャンが、聖霊に導かれてある仕事をしたいと願うようになる場合、もし聖霊に導かれているならば、奥さんも同じ願いを与えられるはずです。しかし、聖霊に導かれていないノンクリスチャンはそのような願いを持つはずがないのですから、当然、分裂します。
クリスチャンがノンクリスチャンと結婚して、相手が信仰に導かれる場合がありますが、それは、例外であり、主の特別なあわれみと恵みです。しかし、それは原則ではありません。そのような事例が、増えれば、当然、どちらかが勝利することになります。どちらが勝つか、と言えばもちろん、ノンクリスチャンが勝つのです。クリスチャンは、次第に信仰を失ってノンクリスチャンに巻き込まれます。なぜならば、原則は、「信仰の違う者と結婚してはならない」ということだからです。神が「こうしなさい」と言われた原則に逆らって、長期的にみて、それと逆のこと―つまり祝福―が与えられることは絶対にありません。なぜならば、神のほうが我々よりも強いからです。我々が、いくら、「ノンクリスチャンと結婚して、相手が信仰に導かれることはよくあるのだから、大丈夫だ。」と述べても、もし神が「してはならない」ということをしているであれば、それは、長期的に見て呪いになります。
牧師の中でも、ノンクリスチャンとの結婚を許容する教えを述べる人々がいますが、彼らは近視眼なのです。サタンは、近視眼の人々を喜びます。近場の祝福を与えて、長期的な呪いをもたらそうとするのは、サタンの常套手段です。
日本における神の御国の退歩の責任の一部は、このような教えにあります。
02/02/06