聖書に関する疑問
<ご質問>
質問1
マタイとルカの系図の相違の説明には、以下のようなものがあります。
可能性1
マタイは律法的意味でのダビデの王統を記し、ルカは実際の肉親的関係による系図を記した。
可能性2
イスラエルでの家族名は、子がある場合はその子がそのまま継ぎ、子がなくて死んだ場合は、亡父の兄弟が未亡人をめとって妻とし、生まれた子に兄弟の名を継がせる律法による場合がある。したがってこれらの系図は、実の父を継いだ幾人かの人と、ある父の子でありながら別の父の子として登録された人々を含んでいる。(申命記25:5〜7)
可能性3
マタイはヨセフ、ルカはマリアの家系を記述した。
その他
マルコ12章、マタイ22章で、イエスはダビデの血筋を否認している。よって、系図の相違について論じることは意味がない。
このように、新約の系図の問題については統一的見解というものが存在しませんが、tomi先生はどのようにお考えですか?
<お答え>
可能性3については、すでに申しましたように、否定できます。
「その他」については、該当する個所においてイエスは、復活に際して結婚について論じることは無意味であることを示されたのであって、結婚そのものを否定したり、系図を無視したわけではありません。
可能性1と2は、どちらもあるのではないかと思います。
ダビデからイエスまでマタイは28代で、ルカは43代あったとしています。
当時、ユダヤ人は自分の系図を暗誦する習慣があり、暗誦に都合のよいようにキレのよい数でまとめるということが広く行われていました。まとめるに際してある先祖の名前を省略することもあったと考えられます。
アダムからダビデまで14代、ダビデからバビロン捕囚まで14代、バビロン捕囚からイエスまで14代としてまとめられていますが、本当にこのように14代ずつにキレイにまとまって世代交代が進んだとは考えられません。元来、ヘブライ語の「〜の子」という表現には、「自分の子供」だけではなく、「自分の子孫(の一員)」という意味もあったのであり、「〜の子」として書いてあるから「それじゃあ、息子だろう。」と必ずしも判断できないと考えます。
質問2
アヒメレク →アビヤタル(マルコ2.25-26)
カヤバ →アンナス (ヨハネ18)
サトゥリヌス→キリニウス(ルカ)
という具合に、新約においては史実とは異なる人物名が表記されています。しかし、その人物は史実と関係の深い人物であり、福音記者はまったくの頓珍漢な人物名を書いているわけではありません。このような表記方法は当時の慣習であるとは考えられませんか?
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お答え>繰り返しになるかもしれませんが、聖書は、けっして正確を眼目とする歴史書とか事実記録書ではありません。ですから、一見すると史実とは異なるように見える個所が聖書には多数あります。しかし、だからと言って聖書を寓話ときめつけることができないのは、キリスト教は、あくまでも事実に基づく「歴史的宗教」の性格を持ち、聖書の記述はけっして歴史的空想に基づいているわけではないからです。当時ローマ皇帝は、属州の長官に多数の兵力を与えることを嫌ったので、地方に難問が発生した場合、直属の部下を派遣して事に当たらせたため、属州総督のサトゥリヌスではなく、皇帝から信任を受けたキリニウスがユダヤにおける主要な統治者となっていたと考えられます。また、ルカ2・2では、キリニウスは「総督」であったと書かれていません。原語では、キリニウスは、「シリアを治めていた(`ηγεμονευοντοs)」としか書かれていません。ルカのような当時の一般民衆の立場からは、統治者は、ただの飾り物のサトゥリヌスではなく実質的に権力を握っていたキリニウスであると見えたのでしょう。