君子鬼を語らず?
中国人の教会では、孔子の教えを説教の中に混ぜることがよく行われると聞く。
正しい教えならば、受け入れることができるだろうが、間違った部分は断固として拒絶しなければならない。
それゆえ、学問であっても、思想であっても、どのようなものであっても、聖書によるふるいにかけることなく、教会に導入することはできない。
先日ある人から、孔子は「君子鬼を語らず。」(鬼とは、悪霊とか霊的なことがら)とあるので、霊について語るのはよくないといわれた。
聖書は、この世界は霊と霊の戦いの場であり、クリスチャンの戦いは、霊に対する戦いであるといわれている(エペソ6章)。パウロは、幾度も、「サタンに妨げられた。」と手紙の中で告白している。
それゆえ、霊について語ることを禁じるならば、聖書の中心的なテーマを取り除くことになる。
クリスチャンになり、霊的な感性が鋭くなると、何らかの出来事の背後に霊の働きがあることがわかるようになる。
このような霊に関する事柄を嫌うという傾向が現代人にはあるので注意が必要である。