クリスチャンはシオニストたちを認めてよいのか?
ある有名な先生が、現在パレスチナにおいて起こっているのは、預言の成就なのであるから、クリスチャンはこの問題にタッチしてはならない、と言った。
しかし、考えていただきたい。今、イスラエルを支配しているシオニストたちがあがめているのは、ローマ軍に最後まで抵抗して玉砕したマサダの戦士たちである。
彼らは、ユダヤ民族が異教国ローマから自由になることを求め、さらに、世界において覇権を得ることを熱心に求めた熱狂的愛国主義者なのだ。イエスは、彼らに対して、「あなたたちはへりくだって、異教徒による支配に甘んじなさい」と述べられた。
「右の頬を打たれたら左の頬を向けよ」「1ミリオン行けとローマ兵に言われたら2ミリオン行け。」と言われた。
ユダヤ民族が、自分たちが軽蔑する異民族に隷属したのは、律法違反が原因だった。
「私が、きょう、あなたに命じるあなたの神、主の命令にあなたが聞き従い、守り行なうなら、主はあなたをかしらとならせ、尾とはならせない。ただ上におらせ、下へは下されない。」(申命記28・13)
もしユダヤ人が神の律法を守り行っていれば、このようなみじめな現実はなかった。
しかし、誇り高い民族主義者たちは、自分たちの劣悪な状態は、力によって解消できると考えていた。彼らは、この民族的隷属から解放してくれる者として、救い主メシアを期待したのだ。
弟子たちも、このような政治的メシアを求めていた。
しかし、イエスは、このような偽りのメシアとなることを拒否された。サタンが「この石をパンに変えなさい。」と誘惑したが、「人はパンだけで生きるのではない」と退けられた。
この誘惑にのったのが、共産主義者である。彼らは、「人はパンだけで生きるのではない?パンがなければどうするのだ?」と言って、政治的解決を選び取った。
イエスは、ユダヤ人が回復するには、あくまでも「へりくだり」しかないといわれた。神の戒めを守り、神に従う以外に道はないと言われたのだ。
いつまでたっても革命者として立ち上がらないイエスに失望したユダは、ついにイエスを売ってしまった。政治的メシアとして立ってくれるだろうと期待した群集は、おとなしく縛り上げられたイエスに失望し、十字架につけろと叫んだ。
現在、パレスチナ人を弾圧しているユダヤ人は、民族を力によって解放してくれる政治的メシアを求めた人々の霊的子孫なのだ。
彼らは、イエスを十字架につけた人々を模範とする人々なのだ。クリスチャンが、このような人々の行動を是認するとは一体何事だろう?
民族の自立を力に求める「力の宗教」は、旧約時代の最大の異端である。我々は、このような宗教を認めてはならない。
ユダヤ人が回復するのは、彼らが本当にへりくだった時だけである。「我々は選民だ。パレスチナは我々の先祖に与えられた土地だ。」などと言って叫んでいる人々に預言のゆえであれ、何であれ賛同してはならないのだ。そして、このような人々が神殿を建てたとしても、そのような神殿は「傲慢の神殿」であるから、絶対に認めてはならないのだ。
02/04/11