キリスト教徒は異教徒を虐殺してもよい?
>聖書の中の神の信者たちは神の命令として異教徒の街を襲い住民の無差別殺戮と
>略奪・侵略を繰り返してもいる(ヨシュア記など)。
これまで何度も繰り返して説明したことがまったく無意味であったのを知るのはまったくつらいことですね。
U氏にしても、あなたにしても、どうして、同じことを繰り返して言うのか、こちらの書いたものを読んでいますか?
あらゆる異教徒の町を襲うことが許されているとどこに書いてありますか?
何度も言うように、ヨシュア記において、神が聖絶を命じたのは、「神の律法を徹底して破ったために処刑宣言が下されたカナン諸民族」だけです。神がエジプトやエドムやアモン人を聖絶せよと命じている個所はありません。
この地上のあらゆる人間は、神によって創造され、倫理的な責任を負っているので、もし、倫理的に堕落し、それが許されない範囲に入った場合には、どの民族でも処刑の宣告がくだされます。それは、日本人であっても同じです。
カナン人は異教徒だったから絶滅されたのではなく、神の法を徹底して破ったからです。
また、ヨシュアの軍隊が正しいから、無差別に殺戮していよいというのではなく、カナンの人々の罪が満ち、処刑の対象となったからです。
「あなたが彼らの地を所有することのできるのは、あなたが正しいからではなく、またあなたの心がまっすぐだからでもない。それは、これらの国々が悪いために、あなたの神、主が、あなたの前から彼らを追い出そうとしておられるのだ。」(申命記9・5)
>聖書では、「異教」の神に仕えるよう誘う人に対しては
>・・このような者は必ず殺さねばならない(申命記13.10)・・
> とし、さらにある街で異教の神に従うよう住民を「迷わせている」者がいるの
>なら、その街の住民を剣にかけて殺して街を「滅ぼし尽くし」分捕り品もろとも
>「町全体を焼き払」え、と強い調子で命じていますね(申命記13.14-17)。
「あなたは、調べ、探り、よく問いたださなければならない。もし、そのような忌みきらうべきことがあなたがたのうちで行なわれたことが、事実で確かなら、あなたは必ず、その町の住民を剣の刃で打たなければならない。その町とそこにいるすべての者、その家畜も、剣の刃で聖絶しなさい。そのすべての略奪物を広場の中央に集め、その町と略奪物のすべてを、あなたの神、主への焼き尽くすいけにえとして、火で焼かなければならない。その町は永久に廃墟となり、再建されることはない。この聖絶のものは何一つ自分のものにしてはならない。主が燃える怒りをおさめ、あなたにあわれみを施し、あなたをいつくしみ、あなたの先祖たちに誓ったとおり、あなたをふやすためである。」(申命記13.14-17)
(1)この聖書の個所において、「異教」の神に仕えるよう誘う人と言われているのは、あくまでもイスラエル人です。イスラエル人は、割礼を受けて、神の契約の中に入っています。契約の中に入ったということは、契約の条項である律法の規定を遵守するということを承諾している人々です。つまり、彼らはあらかじめ、「わたしは、神と契約を結び、神が禁止したことを行いません。もし行った場合には、その契約に基づいて処罰されてもしかたがありません。」と誓いを立てた人々です。
そして、神の律法は、異教に誘う人々を処刑することを命じていますから、そのような禁令を破った者が処刑されても少しもおかしなことはありません。
それに対して、契約の中に入っていないエジプト人は、太陽神を拝んでいましたが、彼らを処刑せよと述べている個所はありません。もちろん、カナン人のように、堕落が徹底したために、神が処刑することを望み、その処刑役をイスラエル人に委ねたというような特殊な場合には、異教徒が処刑されることはあります。(*)
(2)新約聖書においては、異教や異なる信仰に誘う者たちは、除名せよと述べられているだけであって、処刑には価しません。パウロは、「分派を起こす者は、一、二度戒めてから、除名しなさい。」と述べています。また、「外部の人達は神が裁くのであって教会の人々が裁くべきではない。」と述べています。
「あなたがたがさばくべき者は、内部の人たちではありませんか。外部の人たちは、神がおさばきになります。その悪い人をあなたがたの中から除名しなさい。」(1コリント5・13)
> さらに、異教の神の預言者や夢占いをする者も処刑せよ、としている(申命記
>13.6)わけで
これも、契約を結んでその共同体の中に入った人々(イスラエル)に対して言われていることであって、全人類に言われていることではありません。申命記は、モーセがイスラエルに対して与えた律法であるとはっきりと記されているのですから、誤解するととんでもないことになります。イスラエルは、自国の人々に対しては、神の契約の中にいる者としての聖さを求めますが、神の契約の中にいない他の異教徒たちを処刑してもよいのだ、として戦いをいどんで略奪したことはありません。
また、新約時代になって、規則が変更されたと記されている事柄については、旧約聖書の律法をそのまま適用することはできません。
>> 処刑すべきなのは、故意の殺人などごく限られています。
> というのは、少なくとも「聖書には」あてはまらないのではないでしょうか。
>聖書に処刑の範囲を「故意の殺人などごく限られ」たものとする記述ってあり
>ましたっけ? むしろ、異教徒や神の言葉に従わない人を幅広く「殺す」よう
>命じている部分が目立つのですが。処刑の範囲をごく限られたものとする発想
>は、聖書自体にはあまり見られないと思いますよ。
> もちろん、キリスト教が独自に神の意志を解釈し「処刑すべき範囲」を定め
>る事はあるでしょうし、少なくとも今日一般的に「キリスト教」とされるもの
>は「異教」に直接的な攻撃を仕掛ける可能性はあまりないわけですが。
キリスト教が独自に神の意志を解釈する根拠は、聖書の中にしかありません。
新約聖書が、旧約聖書の規定に変更を加えている場合には、新約聖書のほうを選択するのは当然です。なぜならば、新約聖書も旧約聖書も経典として権威を認めているからです。
それでは、異教徒や神の言葉に従わない人を幅広く「殺す」ように命じているというのは、どこでどのように命じられているのですか?
異教徒を無差別に略奪・殺戮することをカナンの侵攻以外の個所で聖書の中から実例を挙げて示していただけますか?新約聖書のクリスチャンたちが、異教徒を虐殺した個所を挙げることができますか?
むしろ、イエスは、剣を抜いてパリサイ人たちに切りかかったペテロを制止して、「剣を取る者は剣によって滅びる」と言ったのではないですか?
(*)つまり、旧約聖書において、「異教徒の処遇」については、次の2つの方法があるのです。