パラダイム・シフト

 

> 自分たちがこれまで学び、培ってきた神学が否定されるような状況

> になったとき、本当の信仰姿勢が現れるのだと思います。

 

この点については、友人から、富井さんには、キリスト教界の大御所の本性をさらけ出す賜物があると言われてきました。

こちらが聖書から語っているのですから、当然、こちらに逆らうことを言えば、横車を押すことになります。正しい教えを耳にした場合に、取るべき態度は、一つしかありません。

自分の考えを否定して、相手の意見に従うことです。

しかし、大御所としてのプライドがありますから、わかっていながら逆らうことになるので、罪が大きくなるのです。だから、私と議論すると、その人の信仰の内実が暴露され、職業生命が危機に落とされることになるのです。

彼らの反応は、どう考えてもサタンが後ろで暴れているとしか思えないものです。罵詈雑言、嘘八百を並べてこちらの評判を落とそうとします。これが、神に用いられた人の姿なのか?と目を疑うようなことをします。

残念ながら、19世紀から20世紀にかけてキリスト教の大多数は、リベラリズムかディスペンセーショナリズムのいずれかによって異端化されてしまったのです。初代教会から18世紀まで正統とされてきた教えが逆に異端視されているのです。しかし、神はサタンによって一方的にやられているような御方ではないですから、反撃を開始されます。

それが、再建主義が行っていることです。

19-20世紀の悲観主義的キリスト教は、我々の働きによって、19世紀以前正統派を形成してきた、世界を獲得するという楽観主義的キリスト教に変わります。我々の働きは、キリスト教だけではなく、世界の思想的潮流を根底から覆す、パラダイム・シフトの働きなのです。

 

 

 

01/12/20

 

 

 

 

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