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牧師の仕事について

 

 

>> 「全世界の国民をわたしの弟子とせよ。」という命令も彼らの耳にははいりません。

>>「そんな大変なことは引き受けたくありません。わたしは、毎日曜日説教によって信

>>徒に恵みを授け、天国の切符を渡せばそれでいいと思っているのですから。厄介な仕

>>事を押し付けないでください。」などと言います。

>

> これを読んでいて、うちの教会の牧師のことを思いました。

>現在、求道者(女性)の離婚問題をおさめようとしています。

>その方の離婚相手はストーカーになってしまっていて、なかに入っているうちの牧

>師は大変なようです。

>

>よろしければ、牧師のためにお祈りください。

 

 

 私個人としては、信徒を子供扱いするとますます子供になっていくような気がするのです。

 それで、牧師としてすべき「教え」に時間を割くことができなくなって、信徒のお世話(本当の意味でのお世話は必要ですが・・・)ばかりやっているというような姿をそこかしこに見てきました。

 

 現在では、学校の先生もそのような傾向があるような気がします。

 生徒が病気になったといえば、まっさきに病院に駆けつける。

 

 たしかに、そういった熱血教師も一概に否定しませんが、人間って、一人で生きて、一人で責任をとって、一人でやっていくということに早いうちから慣れておかないと、何でも先生、牧師、親に頼るということになって、いつまでたっても自立できないのではないでしょうか。

 

 

 人間は失敗や苦しみを自分で引き受けて大人になっていくのですから、やたらに手を差しのばすのではなく、牧師として教師としてまず第一にしなければならない「教えの務め」に時間を割くほうが信徒や生徒にとっても利益があるのではないでしょうか。

 

 

 聖書についての見識や神学的な知識について信徒より際立った優位を備えず、教会の執事がやるべきことに時間を多くとられて牧会しているような気になっている事例を数々見てきたのです。(ただし、その牧師の働きがまったくむなしいとか言っているわけではありません。ただ、的が外れているのではないかと思うのです。)

 

 ペテロはそのために執事を任命したのですから。

 

 

 



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