教会滅亡学
十年前、ロサンジェルスの友人のもとを尋ねたときのことである。
彼は、私の神学校の同窓なのであるが、卒業後フラー神学校の宣教学科に留学し、修士号を取るため勉強していた。
彼は、「日本のお祭りとか伝統行事も大切にしなければならない。」と言う。
日本人に溶け込むには、こういったものを無視してはならない、と。
事実、日本に来た宣教師で「クリスチャン獅子舞」というものを発案して、正月に踊っていた人がいたという。
お祭りとか伝統行事には、宗教的な背景が必ずある。
聖書は、「キリスト礼拝以外はすべてサタン礼拝である」と述べているのであるから、こういった行事についてどのように考えるべきかはそれほど頭を悩ますまでもなく分かる。
フラーで学んでいた友人はさらに次のように述べた。
「ヴァン・ティルを捨てるのに非常に時間がかかった。」と。
たしかにフラーとヴァン・ティルを調和させることはできないだろう。
日本の文化を尊重するなと言うつもりはまったくないが、クリスチャンは、サタン礼拝に由来する一切のものを忌避するように求められている。
救霊のために文化を取り込むというやり方はカトリックが実践済みである。マリア崇拝、聖人崇拝の侵入を許したこのような妥協の方法を教えるならば、それは教会成長学ではなく、教会滅亡学なのだ。