男性のピアスについて
ニューヨークで牧会をしているスティーブン・シュリセルというユダヤ系アメリカ人の牧師がカルケドンレポートにおいて、男性のピアスについて興味深い記事を書いていました。
どの号に書いてあったか忘れてしまったのですが(誰か教えてください)、次のような内容でした。
ピアス(
pierce=つき刺す)とは、律法にあるように、保護・被保護関係樹立の象徴である。奴隷は、自由になる機会を得てもなお、その主人の家にとどまりたい場合、柱に耳をあてて、きりでそれをつきとおす。その儀式によって、彼はその家にとどまりつづけることができる。
神は、男性をつきとおす者とし、女性をつきとおされる者としてお造りになった。女性の体は男性のために存在するものとして造られている。
したがって、男性がピアスをすることは、リーダーとしての地位を放棄し、従属者になることを示すので、真のリーダーとして召された者、すなわち、家庭・国家・教会の長にはふさわしくない。
この意見は、議論を呼んでいますが、私は好意的に受け取っています。
聖書において、つきとおす行為は、保護・被保護関係、指導・被指導関係、能動者・受動者関係樹立の象徴であり、神が、結婚において男女の性行為にこの動作を採用されたのには意味があると考えます。
また、男女の間には、明らかに召命の違いがあり、本質においてどちらが優劣であるかはありませんが、役割として男性はキリストの似姿であり、女性は男性の似姿であるとして作られているということは事実であろうと思います。
今日、中年・壮年男性の権威が薄れているように言われていますが、やはり、中年・壮年男性の集まりには、侵しがたい一種独特の威厳があります。
それは、神が彼らをキリストの似姿として立てられたからだと思います。
中年・壮年男性は、社会において、キリストの威厳とリーダーシップを反映する責任があると思います。