高等生物になればなるほど時間と個体数は増えるはずではないか?
高等生物になればなるほど、器官は複雑になり、それゆえ、それらの器官が偶然に整う確率も低くなる。
地蜘蛛よりも、巣を作る蜘蛛のほうが、様々な複雑な器官を持つだろうから、それらを遺伝子の突然変異によって手に入れるには、それだけ多くの試行錯誤がなければならないだろう。
さいころの1の目を2回連続で出すよりも、6回連続で出すほうが、試行回数が増えるのと同じである(もちろん、確率として1発で出る可能性がないわけではないのだが、進化というものがそのような稀な現象を期待しなければ成り立たないのであれば、それはすでに科学であることを止めているのである)。
このように、高等生物になればなるほど、試行回数が増え、つまり、それだけ個体数が必要になるわけであるから、自然界において、進化が起こったのであれば、高等生物の数のほうが下等生物の数よりも多くなければならないはずだが、現実は逆である。
これはどうしたことだろうか。
地蜘蛛が空に巣を作る蜘蛛に進化したのであれば、進化の過程において、糸を作る器官を生み出すためのDNAの配列変化、糸に粘り気を生じさせるためのDNAの配列変化、糸を紡いで空に巣を作る本能を生じさせるためのDNAの配列変化が起こったはずである。
もちろん、試行錯誤もなく、突然これらの形質が生じたはずはないのだから、そこに無数の踏み台になった中間の蜘蛛がいたはずである。
さて、この3つの形質が生存に寄与するためには、それぞれが同時に揃わねばならない。例えば、粘り気のない糸で巣を作っても効果はほとんどないから。
この3つの形質を同時に身に付けた蜘蛛が現われるには、このうちの1つの形質を身につけた蜘蛛を期待するよりも多くの時間と個体数を必要とするのは当然である。
つまり、生物が高度な機能を獲得すればするほど、進化の時間と個体数は指数関数的に増えねばならない。
しかし、先ほど述べたように、自然界は、逆に高等動物になればなるほど、個体数は減少している。それに、現在の進化論では、高等生物になればなるほど、進化に長い時間を与えてはいない。
ある進化論者によれば、人に知恵がついたのはたったの2万年だそうだ。
人間の脳とか言語中枢というとてつもなく複雑なものがたったの2万年で成立したのだと!