政治については神が直接裁く?
「地を従えよ。」という命令は、誰に与えられたであろうか。
それは、まず、アダムに与えられ、次にノアに与えられた。
どちらも、クリスチャンである。彼らは、メシアによる贖いを待ち望んでいたから。
神は、「クリスチャンが」地を従えることを望んでおられる。
神の支配の代理者として立てられている3つの主要な制度は、教会、国家、家庭である。
それゆえ、政治は、神の扱われる領域なのだ。
クリスチャンは、政治と無関係であると考えるキリスト教は、古来、正統的なキリスト教と呼ばれなかった。それは、霊の世界を重視して、肉の世界を軽視する霊肉二元論に影響されている考え方である。
政治については、神が直接に為政者を裁くのであって、クリスチャンは彼らの業についてとやかく言うべきではない、というのは完全に矛盾した発言である。
現在の日本において、我々20歳以上の日本人は、参政権を持つのであり、政治の直接の担い手なのだ。この意味においても、政治に関心を持たなかったり、政治について批判することが間違いであるという結論を出すことはできない。
また、為政者が神の御言葉と異なることを行っているならば、クリスチャンは彼らを御言葉によって批判することができる。政治が、神の御言葉の規準と合致するように働くべきである。
クリスチャンは、万物の統治者なのだ。
神の支配の方法は、直接統治ではなく、人間を通しての間接統治である。
神が直接に裁くのは、クリスチャンの力が完全に及ばなくなった場合だけである。クリスチャンの活動にもかかわらず、為政者が悪を行うならば、クリスチャンはすべてを神に委ねる。
しかし、最初から神の直接的な裁きを期待することは、聖書的ではない。
聖書は、労働6と安息1の法則があると述べている。
クリスチャンは6日の間労働するが、神の御手に完全に委ねる1日を残しておく。
この世界の支配は、人事を尽くして天命を待つということわざにもあるように、人間の側において「地を従えよ」との命令を実行すべく働く6日があるが、しかし、最後の1日に神の御業に期待する。安息日は、神が働かれる時である。
安息日にエジプトを裁かれたように、もし6日間クリスチャンが努力するならば、神は安息日に為政者を裁かれる。
安易に神の直接的裁きを期待する政治嫌いのキリスト教は、人間に本来与えられた使命を無視する教えである。それゆえ、長い間教会において異端とされてきた。過去において異端とされたキリスト教が、今日優勢を誇っているというのは悲しむべき事実である。