政治家に倫理性を問うことはできるか?
船田元議員が不倫がマイナス要因で落選した。
アメリカは、キリスト教の伝統があるため、政治家に高い倫理的な資質を求める。日本では政治と政治家個人の倫理性とは別物であると言われることが多かったが、最近ではそうではないようだ。
聖書は、政治家や行政指導者に高い倫理を要求している。
指導者の罪は、一般人の罪と比べて重い。
一般人が罪を犯した場合捧げなければならなかったいけにえが雌やぎであったのに対して、指導者が罪を犯した場合捧げなければならなかったいけにえは雄やぎであった(レビ4・22−26、27−31;律法では、犠牲の価値は、雌よりも雄のほうが高いとされている)。
それは、その指導者が与える影響が大きいからである。
祭司については、人々の宗教生活に影響を与え、神との関係に重大な影響を及ぼすので、雄牛を捧げねばならなかった。
「もし油そそがれた祭司が、罪を犯して、民に罪過をもたらすなら、その人は、自分の犯した罪のために、傷のない若い雄牛を、罪のためのいけにえとして主にささげなければならない。」(レビ4・3)
これは、民全体が罪を犯した場合に捧げるのと同じ値のいけにえである。
このように、神的社会における立場の重要性は、宗教指導者−政治的指導者−一般人という順番である。
宗教指導者に次いで、政治的な指導者には高い倫理的資質が求められる。