00
年8月06日説教
「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人のものだからです。」(マタイ5・3)
ここで「貧しい」と訳されている言葉の原語は、「だれにも頼ることができないほど極貧の」という意味である。つまり、自分の貯金や、不動産や、技能や、能力、職歴、家族、親族、友人などに頼ることができない身よりのない乞食の状態を指している。
心において極貧の人とは、自分の義を立てることを完全に諦めている人である。
「神様、わたしって何て素晴らしい人間なのでしょう。わたしはこれまで姦淫したことも、盗んだことも、偽証したこともありません。ことにこの収税人のような罪人でないことを感謝します!」と祈ったパリサイ人のような人間ではなく、天に顔を向けようともせず、ただ「神様、この罪人のわたしをあわれんでください。」と祈った収税人のような人間である。
イエスは、パリサイ人ではなく、収税人が義とされたと述べておられる(ルカ18・9−14)。
天の御国に入ることができる人は、自分の義を立てる人ではなく、ただ神のあわれみを待ち望む人である。
彼は、自分自身に絶望している。自分のうちに神に対して誇ることのできるものが何一つないことを知っている。
彼は、けっして自分の知恵を誇らない。自分の頭で考え出したものが、いかに空しいかを知っている。彼は、聖書に記されたすべての記事の前に頭をたれる。聖書において、世界が神の創造によってできたと書かれているならば、素直にそれを信じる。
「いや、聖書にはそうあるかもしれないが、化石を見れば進化があったことは明らかである。」などと我を張らない。
「クリスチャンは、聖書を絶対的権威として盲信の中に入り込んでいるが、科学は、けっしてドグマを許さない。これこそ、柔軟で謙虚な立場ではないか。」などとは言わない。彼は神を恐れ、神の御言葉を恐れる。だから、神が存在すること、神の御言葉が真理であることに疑いを抱かない。
自分の知識、知恵、努力、能力に頼る人は傲慢である。異端は、傲慢の心から生まれる。神の存在と、神の知恵とに立ち向かうことができると信じる異端者は、けっして天の御国に入ることはできない。
聖書に記されてもいない教義を信じたり、聖書から論証できない教えを宣べ伝える人々を待ちうけているのは滅びである。
心の貧しい人は、自分の業績に頼らない。自分が築き上げた地位や財産に固執しない。もし自分が信じている立場が間違っているとわかったら、すぐにそれを捨てる。聖書を読んで、自分の信じていることが間違っていると気づいたら、ただちに悔い改めて自分の知恵を捨てる。それによって、自分に従ってきた人々に対してしめしがつかなくなって、教会が分裂するかもしれないとわかっても、公に自分の非を認める。
心の貧しい人は、自分の内側にあるすべてのものを手放している人である。彼が頼っているのはただ神の力だけである。
彼は、たとえ自分がこれまで宣べ伝えてきたことが間違いであったと発表して、教会から人が去って行っても、神が必ず助けてくださると信じているので、平安である。
心の貧しい人は、ただ神が与えてくださるものだけを待ち望む。
人間が作り出した教えや、人間からの救いに頼らない。どんなに救いの手を広げる人がいても、それが神の御心ではないとわかったら、彼のもとに行かない。
どんなに素晴らしい救いを提供してくれるカウンセラーがいても、彼に助言を求めない。たとえ両親や兄弟や配偶者が助言してくれても、御心と反しているならば、けっして彼らの言葉を信じない。
ある大きな予備校に、時給
40万円も取る人気講師がいた。彼は学期のはじめにこのように言った。「ボクの授業を受けるならば、必ず成績が伸び、合格できる。だからボクについてきて欲しい。」と。あるまじめな生徒がこの言葉を信じて一年間彼の授業を受け続けた。しかし、成績はいっこうに伸びなかった。年度末になり、試験が近づいたときに、この講師が次のように言うのを聞いて愕然としてしまった。
「もし、ボクの授業を受けつづけて成績が伸びなかったのなら、自分の責任だから諦めて欲しい。」と。
人間は裏切るものだ。
ことにサタン的な人間は、最後の最後まで引っ張って行って裏切る。なぜならば、サタンの目的は、人間を滅ぼし、立ち直れないほどのダメージを与えようとしているからである。しかし、彼はけっして責任を取ろうとしない。
パリサイ人たちの声に従ったユダは、イエスを裏切った後で後悔したが、彼らは、「俺達の知ったことか。自分で始末しろ。」と切り捨てた。
だから、人間の言葉を信じて、神の言葉を捨てることは愚かなのだ。
いかに合理的に見える言葉であっても、人間の頭が作り出した言葉を信じてはならない。創造を信じず、進化を信じる人は、その背後に働いているサタンに裏切られる。金儲けの甘言を信じてついていく人は必ず裏切られる。聖書を否定して、人間の作り出した制度に従う人は必ず裏切られる。
「神などいらない、人間だけで世界を運営しても大丈夫だ。我々には、民主主義という素晴らしい制度があるではないか。」というサタンの甘言にのる人は愚かである。どんなに素晴らしい制度や組織があっても、神を中心に据えなければ、必ずサタンによって破滅に追い込まれるからである。なぜならば、サタンは、人間よりも賢いからであり、人間が知恵を凝らして作り上げたどのような制度や組織であっても、サタンはそれを用いて人を滅ぼそうとするからである。
「さあ、これで大丈夫だ。この民主主義さえあれば、我々はけっして戦争や搾取や貧困に陥ることはないだろう。」と言ったワイマール憲法から、ヒトラーが誕生したことを忘れてはならない。
心の貧しい人は、自分の知恵や制度や組織に頼らない。彼は、サタンが人間の知恵を遥かに越えた策略で我々を攻撃することを知っているからである。
神の前にひざまずき、神の言葉を幼児のように素直に受け取ることなしに、我々は正しく歩むことはできない。