日本のためにとりなしの祈りを

 

 ラッシュドゥーニーは、常々、「神の国がどのように発展するかについて心配する必要はない。我々は、自分の仕事をして、あとは神に委ねればよいのだ。」と言っていました。

 

 もし神の国の発展について私たちがすべての責任をもたねばならないとしたら、この異教国日本に生まれた私たちは、どうしても絶望的にならざるをえません。

 

 アメリカで再建主義者は、30万人と言われます。恐らく、日本のクリスチャンの総数よりも多いでしょう。

 

 そのような国と比べれば、私たちは無力感にとらわれ「ダメだ」と諦めるしかないでしょう。

 

 しかし、私たちは、現実主義者ではなく、信仰主義者です。

 

 どのような国家でも会社でも、最初は一握りの人々から始まるのです。一握りだからということで悲観しては何もできません。

 

 問題は、それが神の御心か?という点にあります。

 そして、神の御心であるとわかったならば、自分の責任を果たすだけです。神がどのようにそれを発展させるかなどについて詮索すべきではありません。

 

 こと神の国について、計画立案者はもっぱら神であり、我々は、1つのコマにしか過ぎません。

 

 どんなに心配したからと言って、また、戦略を立てたからといって、それは人間の心配であり策略です。神が、日本の弟子化の過程を急速に進ませようとされているか、徐々にしようとされているかはどうでもよいことです。すべて神のなさること、神の計画は最善なのですから。

 

 もちろん、自分の怠慢や罪によって、自分の果たすべき分を果たさないことはよくないですが、自分の小さな領域について責任を果たすように努力すれば、あとは神がそれを用いて計画を進めてくださるのです。(だからといって、まったく全体的な戦略を立てるなということでもありません。世界の流れ、自分の立ち位置について考えて、最も効果的な施策を練ることは大切です。)

 

 大きな計画についてあまりにも心配しすぎると、ほとんどヒューマニズムの「エリートによる社会改造計画」と変わらないものになります。

 

 ゲイリー・ノースには、この傾向があり、彼の日本衰亡説(欧米諸国は神との契約の中にいるから完全な崩壊は避けられるが、日本は異教国であるから、かつての異教帝国(ギリシヤやエジプト、ペルシャなど)が繁栄の後に堕落し弱小国家になったのと同じ道筋をたどるだろうという説)をうのみにすると、我々は、ほとんど夢も希望もなくなります。

 

 彼は、日本のことを知らないし、日本人の立場にも立っていない。

 彼は、再建主義でありながら、こと文明論になると、信仰に立たずに、理性に立つ傾向が強い。

 

 祖国が衰亡することを指をくわえて見ている人間がいるでしょうか。キリストは、「すべての国民を弟子とせよ」と言い、民族という単位を非常に重要視しておられるのです。聖書は、人間を、個人としてだけではなく、集団としても考えている。

 

 もしキリストのこの命令を真摯に受け止めるならば、どうして、「日本はかつての異教国のように衰亡するだろう」と我々が言えるでしょうか?

 

 私は、サッカーやマラソンなどスポーツを観戦するときに、どういうわけだか他の国の選手には感情移入できません。ロシアや中国は好きな国ですが、彼らが勝ってもあまりうれしくありません。やはり日本人が勝つと自分のことのようにうれしいし、勝つために応援します。

 

 これは日本人ならほとんどだれでもそうではないかと思います。

 

 日本人は、日本のことをどんなに批判していても、やはり自分の国のことを愛しているし、心配しています。

 

 神は、クリスチャンを無国籍者になれと命令しているのではありません。神は、クリスチャンをその国に、また、民族の中においてくださったと思います。だから、私は、全世界の弟子化だけではなく、とくに日本のため、日本人のために召されたと思いますし、そのために働きたいと思います。

 

 旧約聖書の預言者はイスラエルのことを愛して、そのために涙を流して悔い改めを勧めました。

 

 日本は、このまま神を拒み、神の法を破り続けるならば、ゲイリー・ノースの言うように滅亡は避けられません。

 

私たちは、この国のために、とりなしの祈りを神に捧げなければならないと思います。 

 

 

 

 



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