合理主義によるキリスト教の汚染
今日のキリスト教が、瞬間移動、預言、奇跡、神癒、除霊などを否定したがるのは、ヒューマニズムの「宇宙孤立系説」に影響されたからである。
彼らは、「聖書が完結した今日、預言は存在しない」とか、「使徒的しるしとしての神癒は終わったから、今日、神癒は存在しない」とか、屁理屈ばかり述べている。
たしかに、正典としての聖書は創世記から黙示録66巻で完結したし、使徒職もパウロを含む十三人で完結している。
しかし、これが預言や神癒の存在を否定する理由にはならないことは明らかである。
なぜならば、「神は超自然的な御方であり、超自然的な働きをなさる御方」だからだ!
聖書が完結し、使徒職が終わったら、神は超自然ではなく、超自然的な働きを止められるのだろうか。
どこにそんなことが書いてあるか!?
ヒューマニズムは、この宇宙は閉じられた系であり、その外側から何か超自然的な力が働くことは一切ない(厳密に言えば、「そのような力が働くことがあっても、人間には関係がなく、無意味である」)、と主張する。
しかし、クリスチャンは、宇宙は神の創造により、神の栄光をあらわす場であると考えるから、神の超自然的な属性は必ず、宇宙の中において反映しなければならないと考えなければならない。
19世紀から20世紀のリベラル派のクリスチャンは、「内在論者」である。
彼らは聖書を内在論的に解釈する。モーセの奇跡を科学的に説明しようとするし、処女降誕はなかったと主張する。
正統派のクリスチャンもこの影響を受けてしまって、「世界は合理的に解釈しなければならない」と考えているので、これらの超自然現象を否定する。
ちなみに、ヒューマニズムの「合理的」という言葉は、「宇宙を閉じられた系とみなす考え方に合致した」という意味でしかない。
だから、クリスチャンは、そのような意味での「合理性」を重視する必要はさらさらない。
このように、ヒューマニズムの合理主義に汚染されたために、クリスチャンは、除霊などを止めてしまった。そのため、精神病院が今日大流行している。