和解の務め

 

>神様がお造りになったこの世界は、私たち人間が喜び楽しむことが出来るものでない

>ならば、神様との交わりを除いたら何の意味もない世界となってしまうのではないで

>しょうか。

>私は、音楽も絵画もその他芸術もスポーツもそのほかのあらゆる領域について神様の

>栄光を現す責務が、私たち人間ににあると考えます。ですから、tomi先生がおっしゃ

>る、後説によって「積極的に社会に働きかけるクリスチャンを生み出す」というのは

>大いに意義があることだと思います。

 

 

 まさに仰るとおりだと思います。

 イエスは、「いのちの君(=根源)」ですので、イエスを除いた音楽、絵画、芸術、スポーツは、いのちのないものです。クリスチャンは、すべてにいのちを吹き込んで、復活させる働きを託されたのです。全世界が復活したならば、キリストは再臨されます(使徒3・21)。

 飲むにも食べるにも、何をするにも神の栄光のためにするというクリスチャンの生活の原則は、ただクリスチャンだけのものではなく、世界に広めねばなりません。なぜならば、パウロがコリントの教会に述べたように、クリスチャンは「和解の務め」を与えられているからです(2コリント5・18−19)。これは単に魂が和解するだけではありません。万物の和解なのです。万物が神の栄光のために存在するようになり、神と真の意味において和解するようにクリスチャンは働くべきだといわれています。

十字架においてキリストは、天にあるものも地にあるものも一切を神と和解させてくださいました(コロサイ1・20)。しかし、これは、あくまでも法的な和解です。交戦国同士が和解の協定を結んで、終戦を宣言しても、実際に残党たちが争っていれば、戦争は終わっていません。クリスチャンは、敗戦国の残党どもを掃討するために召されたのです。

 

 

 



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