神殿は再建されるか?

 

 マタイ24章を終末預言ととらえると、当然、終末において神殿が再建されていなければならない、ということになる。

 「この神殿がくずれる終わりのときはいつか」との問いに答えてイエスは、数々の前兆を予言された。

 現在、イスラエルに神殿はない。それは、紀元70年のユダヤ戦争において崩壊したからである。

 「終わり」という言葉を世界の歴史の終末ととらえると、当然「神殿」が再建されていなければならない。存在しない神殿は崩されることはないからである。

 さて、イエスは「神殿を3日で再建する」と言われた。そして、聖書は、「それは御自分の体のことを指して言われた。」と述べている。

 聖書は、「神殿」とは「イエスの復活の体」のことであると明言している。それなのに、なぜ石でできた神殿が再建されねばならないのであろうか。

 神殿と犠牲制度は不可分である。なぜならば、それは旧約聖書の礼拝のシステムを象徴する2つの主要な要素だからである。

 前千年王国説の人々は、犠牲制度は廃止されたといいながら、神殿は再建されるという。

 キリストという本体が現われてもはや犠牲制度が廃止されたというならば、当然、石でできた神殿も不用だということになぜならないのだろうか。

 「この山でとか、あの山で、というのではなく、どこにおいてでも霊とまこととをもって礼拝が行われる」時代になったとイエスが言われたのに、なぜそれだけユダヤにこだわらなければならないのだろうか。

 神殿、つまり、神の霊を宿し、神を礼拝する場所は、現在、キリストの御体である。

 キリストの御体である教会(建物ではなくエクレシア=クリスチャン及びクリスチャンの集合)こそ、新約時代における神殿なのだ。

それとも、神は、真っ二つに裂かれた神殿の幕を再び縫い合わされるとでも言うのだろうか。

 

 



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