祝福の回復
第1列王記18章
http://www.yone.ac.jp/~takao/sc/j/ot/1kgs/18にエリヤとバアルの預言者の戦いが記されている。
当時、イスラエルにはひどい飢饉があった(2)。
この飢饉の原因は、イスラエルが神に対して罪を犯していたからであった。
イスラエルの王アハブは、主の預言者を迫害していた(4)。
民はバアル神を拝み、イスラエルの神ヤーウェを捨てていた(21)。
預言者エリヤは、カルメル山にイスラエルの民を集めた。また、バアルの預言者450人も集め、彼らに戦いを挑んだ。そして、イスラエルの民にバアルが神なのか、それともヤーウェが神なのか決断を迫った。
もしバアルが神ならば、バアルの預言者が祈り求めればそれにバアルが答えるだろう。しかし、もしバアルが預言者の祈りに答えず、ヤーウェがエリヤの祈りに答えるならば、バアルは神ではなく、ヤーウェが神であることがはっきりするだろう、と(24)。
バアルの預言者は、祭壇の上に載せられた犠牲の牛に火が下ることを求め、自分たちの体を傷つけることまでして騒いだが何も起こらなかった(26−29)。
そこでエリヤは、イスラエルの民を近くに呼び寄せ、まず壊れていた祭壇を築いた。イスラエル12部族のために12の石を選んで祭壇を築いた(30−32)。祭壇が壊れていたということは、イスラエルが神を忘れ、神を拝まず、自分勝手な歩み方をしていたことを象徴している。
祭壇の上にはたきぎが積まれ、犠牲の牛が載せられた(33)。
犠牲の牛は、イスラエルの民の身代わりの牛である。民全体の贖いのためには雄牛が捧げられねばならなかった(レビ1・4)。
エリヤがヤーウェに祈ると、たちまち天から火が下って、犠牲の牛やその回りの石や溝の中の水をなめつくした(38)。
神は火をもって、ご自分が神であり、イスラエルの民の礼拝を受けられるお方であることを示された。
イスラエルの民はヤーウェこそが真の神であることを知り、礼拝した(39)。
エリヤは預言者を捕らえてキション川に連れ下り、そこで一人残らず殺した(40)。
そしてカルメル山に戻ってひれふして神に祈ると、手のひらほどの小さな雲が海から上り、やがて激しい大雨になった(44−45)。
旱魃の原因は民の偶像礼拝にあった。そして、民が犠牲を捧げて正しく神を礼拝するようになると旱魃は終わり、呪いは去った。
祝福の停止、神の国の停滞は、正しく神を礼拝することによって終わるということがここで教えられている。
正しい礼拝とは、キリストの犠牲を信じることである。そして、神に罪を告白して、悪より離れ、キリストの贖いを受けることである。そうしたときに、必ず祝福は戻ってくる。