ロックなど

 

 私は、本来、ロックが好きなタイプです。と言っても、デスメタルのようないかにもサタン的なものとか、現在地方テレビなどでやっている、日本のパンクやヘビメタやビジュアル系などのバンドなどは好きになれませんが、私が10代のころのビートルズやツェッペリンなどブリティッシュロックなどには非常に惹かれやすい人間です。現在でも、昔の趣味については複雑な思いがあります。

 恐らく、現在自分が10代20代なら絶対にロック好きにはならなかったと思います。あまり惹かれるバンドはありませんから。今、アメリカでもポップカルチャーは停滞しています。

 アメリカの音楽産業は、ローティーンを主要なターゲットにしていると聞きます。なぜならば、12,3才のころの音楽の趣味が一生続く傾向が統計でわかっているからだそうです。

 だから、しっかりとしたクリスチャンホームに育つことは重要なことだと思います。そういった時期にロックなどに触れさせなければ、嗜好がそちらのほうに向うことはないし、悪趣味な音楽から離れるのに、私のように苦労しないからだと思います。

 ただ、自分の場合、ウッドストックなどの洗礼を受けた世代は、ニューエイジとはいかなるものか肌で体験していますから、現代のサブカルチャーの問題の意識を高めてくれたことは、ある意味において神の導きではなかったかと思います。

 かつて、熱狂していたウッドストックとは一体何であったのか、これまでずーっと探し求めていました。

 それゆえ、オリバー・ストーン監督の映画が非常に興味がありました。

 この監督は、60年代にこだわっています。というのも、彼の人格を形成したのが60年代のカウンターカルチャーだったと自分で言っているので。「プラトーン」とか「JFK」とか「トークレディオ」、「ドアーズ」など、自分の体験と重なり合う部分があって、非常に興味深かったです。

 60年代から70年代にかけての、ビートルズ、LZ、ザ・フー、ELPなどは、少年時代には、ただカッコイイということでしか見ていなかったですが、自分の思想には相当強烈な影響を与えたことが後でわかりました。そして、その思想というものを、その前の時代と後の時代と比較して、どのようなものであったのか、正体をつかもうとずっと努めてきました。

 

 ラッシュドゥーニーが「聖書律法綱要」を発表したのが1973年ですが、彼が内容を記したのは60年代です。そして、60年代のアメリカの文化が、キリスト教文化から離れていっていることを細かく分析しています。

 彼は、まだホモセクシュアルなどアメリカにおいてほとんど存在しなかった時代に、すでに、同性愛がさかんになることを預言していました。彼の思想に出会わなければ、自分を育てた60,70年代のアメリカのサブカルチャーをクリスチャンの視点から正当に評価することは難しかったと思います。

 

 ロックは、その源泉が明らかにサタンにありますので、クリスチャンとロックは調和しないと思います。

 クリスチャンロックとは、クリスチャン殺人者と同じくらい相性の合わない合成語だと思います。

 

 ロックと、ハル・リンゼイと、『エクソシスト』に始まるオカルトブーム、これらのサブカルチャーに、60年代から70年代のアメリカが汚染されて、「十戒に基づく強固なキリスト教文化」は徐々に破壊され、それが全世界を席巻しています。なにせ、ビートルズの初期の曲のタイトルは『I Want Hold Your Hand』ですから。そして、ローリングストーンズが曲の中で『Let's spend the night together』と歌って、大騒動になったのですから。今や、マドンナやプリンスなんて可愛いもので、若者はその歌詞を文字通り実践しているわけです。

 

 ヒューマニズムは、ここまで落ちるのか、というところまで落ちているわけですが、それが、私の10代から現在までの短期間に起こってしまった、ということは、何を意味しているのか…。

 

 今や、その影響はキリスト教にまで及んでいる。文化を中立だと誤解しているクリスチャンは、伝道集会においてロックをガンガンやってこれが現代の賛美ですと思っていますが、かつてそのような世界にどっぷり浸かっていた者から見ればそら恐ろしい限りです。

 

 教会には、相対主義が蔓延り、『命令する神』は人気がないので、「律法は命令されたから守るのではなく、救いの感謝として進んで守るべきです」などと平気で語られているのです。 

 

 今、キリスト教でトップで活躍している人々は、60年代のカウンターカルチャーを大人としてやりすごした人々なので、「律法は守らなくてよいのです」と言うことがどのような意味を持っているのか、知らないのです。また、「この世は過ぎ行くのですから、あまりかかわりをもってはいけません。」ということがどのような意味を持っているのか、そして、そのような教えが次世代をどのように堕落させるか気づいていません。

 

 律法や規範を説かない説教、この世に目標を与えない悲観的な終末論は、まだ規範意識のある世代にとっては脅威にはなりませんが、まったく規範をうしなって、目標も失っている世代にとっては、「早く死になさい」と言っているのと同じです。私は、ひとあし早くそのような虚無的な世代を体験してしまったので、危険性をひしひしと感じてしまいます。

 

すでに述べましたように、最近のロックは、全くつまらないですね。

ポップスにしても、昔のは、まだ曲を聴くと、「神の似姿」の片鱗を残していたので、哀愁とか情緒を味わうことができましたが、今のは、「サタンの似姿」をモロに表しているようで、嫌いです。

個人的には、ジャズのチック・コリアが一番自分の好みに合っているのですが、ほとんど聞いていません。(テープとか処分したので。)

チック・コリアのエレクトリックバンドの、驚異的なテクニックを持つベーシストのジョン・パティトゥッティはクリスチャンです。他のメンバーはニューエイジ系の新興宗教です。

 

あと、元クルセイダーズのギタリストの、ラリー・カールトンもクリスチャンです。恐らく世界で最もすぐれたギタリストだと思います。彼の「Lord's Prayer」は秀作です。何年か前に狙撃されて、弾が肺を貫通する重症を負い、ほとんど死ぬところでした。回復してからまたクリスチャンの信仰に立ったアルバムOn the Solid Groundを発表しました。質として一流の現代クリスチャン音楽と言えばラリー・カールトンしかいないのではないかと思います。

 

 

 

 



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