安息の時代
一週間は、歴史を象徴している。
歴史においても、6日働いて、1日休むというサイクルが適用できる。
旧約聖書において安息日は、イエスにおいて成就した。
イエスを信じる人々は安息に入った。
「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます」(マタイ11・28)。
人類も、イエスを信じることによって、安息に入ることができる。
これまで、人類は神に逆らい、神抜きの世界を作ってきた。
そのため、人類は休みを得ることができなかった。
しかし、歴史の最終ステージに入るとき、全世界にリバイバルが起こり、大多数の人々がクリスチャンになり、全世界の国民、民族が、キリスト教を採用し、神の戒めに従うようになる。この時、全世界は安息に入る。
終わりの日に、主の家の山は、山々の頂に堅く立ち、丘々よりもそびえ立ち、国々の民はそこに流れて来る。多くの異邦の民が来て言う。「さあ、主の山、ヤコブの神の家に上ろう。主はご自分の道を、私たちに教えてくださる。私たちはその小道を歩もう。」それは、シオンからみおしえが出、エルサレムから主のことばが出るからだ。主は多くの国々の民の間をさばき、遠く離れた強い国々に、判決を下す。彼らはその剣を鋤に、その槍をかまに打ち直し、国は国に向かって剣を上げず、二度と戦いのことを習わない。彼らはみな、おのおの自分のぶどうの木の下や、いちじくの木の下にすわり、彼らを脅かす者はいない(ミカ4・1−4)。
ア・ミレのように、地上歴史において安息の時代は存在しないと述べる教えが本当であれば、人間は、6日働いて、最後に安息日が来ないまま一週間が終わるようなものだ。
一週間が安息日で締めくくられるように、歴史も安息の時代で締めくくられる。